1945年の「大飢饉・餓死」の真相

大東亜戦争中の出来事でもう1つ、日本ではあまり知られていない重要な「事件」に触れておきます。

なぜベトナムは親日的なのか? :日越友好関係の歴史と反省(金子 熊夫)
(画像=ホー・チ・ミン
出典:Wikipedia、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

日本政府代表が東京湾内の米戦艦「ミズーリ」上で降伏文書に調印した同じ日、9月2日、ハノイでホー・チ・ミンは独立宣言を読み上げましたが、その中に、「戦争末期、ベトナムで約200万人の餓死者が出たが、それは主に日本軍がベトナムの農村でコメなどの食料を徴発したためだ」という趣旨のことが明記されていることです。

200万人というのはあまりにも多いし、どこまで事実か不明で、日本の学者・専門家の間でも疑問視する向きが少なくないようですが、私自身もこの「事件」についてはベトナム政府や共産党の有力者から直接聞いたことがあります。

ホー・チ・ミンは日本でいえば明治天皇のような存在で、彼が自ら起草したと言われる独立宣言は五か条の誓文か明治憲法のようなもの。真偽はともかく、ベトナム人なら必ず読んだことがあるはずで、そのこと自体を無視するわけにはいきません。日頃ベトナム人は決して口にしませんが、日本人としては頭に入れておくべきことだと思います。

(2022年2月21日付東愛知新聞令和つれづれ草より転載)


編集部より:この記事はエネルギー戦略研究会(EEE会議)の記事を転載させていただきました。オリジナル記事をご希望の方はエネルギー戦略研究会(EEE会議)代表:金子熊夫ウェブサイトをご覧ください。

文・エネルギー戦略研究会(EEE会議)/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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