■教団の終焉
1978年11月14日、ライアン議員やマスコミ、信者の家族らからなる視察団がジョーンズタウンを訪れた。ジョーンズらは町の真実を隠匿した上で視察団を歓迎した。しかし、不衛生な小屋に老人たちが監禁されているなど、教団の異様な実態はすぐに明らかになった。ジョーンズも突然大声を上げる、涙を流すなどの異常な行動を示した。脱会希望者らは密かに視察団の元を訪れ、教団の異常な内情を語って助けを求めた。当初は教団に友好的だったライアン議員も態度を変え、脱会希望者16人を共に連れて帰ることを提案した。ジョーンズは渋々これを受け入れたと同時に、自らと教団の破滅を悟った。
11月18日。任務を終えた視察団一行を乗せた小型飛行機が出発しようとした時だった。突如、一緒に飛行機に乗っていた脱会希望者の一人がライアン議員をナイフで切りつけた。ジョーンズの差し向けた刺客が紛れ込んでいたのである。空港にはトレーラーが乗り込んできて、飛行機に向けて発砲を始めた。もちろんジョーンズが命じた襲撃である。この襲撃でライアン議員を含む5人が死亡、11人が重軽傷を負った。
襲撃犯たちが町に戻ると、ジョーンズは町の信者たちに「革命的自殺」をするように呼びかけた。ジョーンズタウンではかねてから自殺の予行練習が幾度となく行われていた。列に並んで毒入りのジュースを受け取り、それを飲み干すのである。これは教団に忠誠を示す儀式であり、練習の際は当然無害だった。食事係は儀式を免除されるのが常だったが、この時は違った。信者たちはこれが練習ではなく、本番であることを悟った。