■終わりの始まり

性と暴力が渦巻くカルト「人民寺院」のカリスマ教祖、その狂気と破滅
(画像=画像は「Murderpedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

 様々な問題を抱えつつも、ジョーンズと人民寺院は表向き成功を収めていた。だが、破綻のきっかけはすぐそばにあった。

 1971年、ジョーンズの愛人グレース・ストーンが男の子を出産した。ジョーンズはこの子が自分の生物学的な子供だという公的書類を作成し、手元に置いて非常にかわいがった。しかし、グレースの方は教団の方針に疑問を抱き始め、ついには脱退を決意し、息子の養育権を求める裁判の準備を始めた。

 この事態に頭を痛めたのはグレースの夫ティモシー・ストーンである。彼は人民寺院を支える幹部の一人であり、教団の後ろ盾でサンフランシスコ地方検事補の地位に就いていた。当初はスキャンダルを避けるため、離婚と親権を求めるグレースを説得しようとした。しかし、人民寺院に対する世間の風は変わりつつあった。教祖の異様な言動や、奇跡と称したイカサマがバレ始めたのである。ティモシーも最終的には教団を離れることを決意し、子供を取り戻す道を選んだ。

 信者たち、そして愛人や側近の裏切りにショックを受けたジョーンズは、かねてから建設中だった南米ガイアナのジョーンズタウンへの移住を決意した。脱退者たちの告発がマスコミを賑わすようになり、人民寺院へのバッシングも始まっていた。1977年、ジョーンズは妻子(グレースの生んだ息子も一緒だった)と信者数百人を連れ、ガイアナへと逃げるように旅立った。

性と暴力が渦巻くカルト「人民寺院」のカリスマ教祖、その狂気と破滅
(画像=ジョーンズタウンのエントランス。画像は「Wikipedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

 教団はジョーンズタウンをこの世の楽園だと喧伝したが、信者たちは過酷な労働と虐待にあえいでいた。パスポートや身分証明書はもちろん財産も取り上げられ、子供たちは両親から引き離されてまともな教育もされなかった。ジョーンズや幹部によるレイプや暴行も日常化しており、嫌気がさして脱走しようとした者も多数いたが、捕まれば衆人環視の中でオナニーさせられるような辱めを受けたり、集団リンチされたりした。

 ティモシーらは教団の脱会者や信者の家族と共に反人民寺院のキャンペーンを行い、連れ去られた子供たちの返還訴訟を起こした。広がりつつある教団への批判を受け、アメリカ連邦議会のレオ・ライアン下院議員らによるジョーンズタウンへの視察が決まった。人民寺院、そしてジョーンズの破滅の時は近づいていた。