ブッ飛びまくった「トクナガ文書」
それを端的に示すのが、通称「トクナガ文書」と呼ばれる資料だ。
これは1959年末、CBA幹部の徳永光男が作成したとされる文書で、内容を要約すると、「1960年あるいは1962年に地軸が傾く大変動が起こり、海水が陸地に押し寄せ、全地球を覆う大洪水が発生する。しかしそのとき、宇宙の兄弟が円盤の大群に乗って我々を助けに来てくれる。円盤に乗る場所は日本では東日本と西日本の2カ所。この場所は『C(英語のcatastrophe=大災害の頭文字をとったもの)』の少し前に知らされる。Cの10日前に電報、その他の方法でCが起こることが知らされるから、連絡を受けたら会員とその家族は指定された場所に集まれ、というものだった。そして、届けられるという電文の内容こそ「リンゴ送れ、C」とされた。(※)
こうした動きは、すぐに他のUFO研究団体や研究家の知るところとなり、さらに産経新聞(1960年1月29日付)には、大異変の到来を予告するCBAの動きが報道された。これを産経新聞に漏らしたのは、CBA会員だった仏文学者の平野威馬雄と言われている。続いて同じ年の『週刊サンケイ』(4月11日号)や『日本』(5月号)になると、「遊ぶなら今のうちよ、と派手な乱交を繰り広げた京都の女子高生」とか、「食料を買い込んで逃げる準備を始めた一部のグループ」、さらには「試験を放棄して学校を休んだ広島県の高校生たちや、自分の家屋敷を売り払って、大変動の日を待った北海道の商人もいた」という真偽不明の内容まで加わっている。
他のUFO研究団体としては「こんな非科学的なことを言われては、自分たちまで同じと見られ、ばかにされる」という思いだったろう。それまで松村は「日本空飛ぶ円盤研究会」の機関誌『宇宙機』にかなり内容のある記事を何度も執筆し、彼が1957年1月に撮影したUFO写真について「近代宇宙旅行協会」を主催する高梨純一も好意的に評価するなど、CBAと他の研究団体との関係はそれほど悪くなかったのだが、事件により一変した。
もちろん、地軸が傾く大異変は今に至るまで発生せず、円盤の大群も現れてはいない。
※ 地球を救う使命を帯びて地球に転生してきた宇宙人(ワンダラー)をリンゴに例える考え方があり、これがCBAにも影響を与えていたと思われる。