日本UFO史の“黒歴史”、「リンゴ送れ、C」事件とは!?
さて、こうした日本の終末予言の歴史に名を残す大騒動をご存知だろうか? 「CBA事件」あるいは「リンゴ送れ、C事件」と呼ばれるものだ。これは、1960年あるいは1962年に地球の地軸が傾いて人類の大部分が死滅するという予言で、日本のUFO研究団体である宇宙友好協会(CBA)が広めた。他の幾多の終末予言と同様、予言の日時が遠く過ぎた今となっては、事件を記憶する者は少なくなり、当時のCBA関係者がこの事件に言及することもほとんどない。しかし、当時の日本UFO界が受けた衝撃は大きく、いわば、日本UFO界の“黒歴史”となっているのだ。
事件の主体となったCBAは、1957年8月に設立された民間UFO研究団体で、設立者の中には宇宙人とのコンタクトを願う者が多かった。機関紙「空飛ぶ円盤ニュース」で、主に海外の事件を紹介する一方、アメリカのコンタクティーであるジョージ・アダムスキーや、ダニエル・フライなどの著作を次々に翻訳出版し、一般にも販売していた。CBA事件の発端は、こうした翻訳出版活動の一環として、CBA代表の松村雄亮がスタンフォード兄弟の著書『地軸は傾く』を翻訳出版したことだった。
レイとレックスのスタンフォード兄弟は、1954年頃から友好的な宇宙人スペース・ブラザーズとテレパシーでの交信を始めたと主張するアメリカのコンタクティーで、『地軸は傾く』は1958年に出版された。原著には「1960年に地軸が傾く大変動が起きる」と記されていたのだが、さすがにCBAもこれをこのまま訳出するかどうか迷ったらしい。
そこで、まずCBAが原著者にこの点を確認したところ、「私の会っている宇宙人はいまだかつて嘘を言ったことはありません」との返答を得た。それでも確信が持てなかったCBAは、直接宇宙人に確かめてみようということになり、1958年6月27日、筑波山上空に松村代表以下の幹部が何人か集まってUFOを呼び出したところ、それらしきものが飛んで来たという。しかし、肝心の何年なのかという点については、参加者のうち2名の者の頭に1962という数字が頭に浮かんだが、これも決定的ではないとされた。
しかし一方、この頃に代表の松村自身が宇宙人と直接コンタクトするようになった。CBAの中にあって松村は、それまで宇宙人とのコンタクト自体に懐疑的であった。その松村が、自らコンタクティーとなった経緯はそれ自体が非常に興味深いストーリーだが、とにかく松村は宇宙人の長老にこの大変動がいつ起こるか訪ねてみた。しかし、正確な期日は宇宙人にもわからないという返答だったという。しかもこの時、「慎重に事を運ぶように」と宇宙人から念を押されたため、日本語版では196X年とぼかして出版した。
この頃のCBAの動きには、機関誌などで重大事態の発生を匂わせながら、会員にさえはっきりしたことを告げない等、方針が首尾一貫しない部分が見られる。もしかしたら、指導部内でも意思統一がなされていなかったのかもしれない。他方、大異変の到来が近いと信じて、密かに準備を進めようとした者たちがいたことも確かだ。