■吸血鬼の最期
1604年に夫が亡くなると、エルジェーベトはスロヴァキアのチェイテ城に女主人として君臨した。もう何年も前から、ハンガリー王家には娘を奉公に出した村人達からの告発や苦情が殺到していたというが、その告発は誰にも顧みられることはなかった。しかし、貴族たちからも娘が失踪したという報告がなされるようになり、問題は無視できるものではなくなりつつあった。
1610年、チェイテ村の教会にルター派の聖職者ヤーノシュ・ポニケヌシュが配属されたことをきっかけに、エルジェーベトの長年にわたる凶行はついに明るみに出ることとなる。彼は着任早々に教会の記録や前任者の手記などを発見、自らも人間の歯型のついた無残な犠牲者の遺体を目の当たりにした。そしてついに、この恐るべき事態を当局に告発したのである。
1610年の年末、クリスマスを祝うチェイテ城に、ハンガリー王国の副王・ドゥルゾーの一団が到着した。城壁には四体もの若い女性の死体が打ち捨てられており、中庭にはまだ温かい血まみれの女中の死体が転がっていた。捜索すると、さらに二人の女中の無残な遺体が発見された。城の塔の地下からは大量の腐乱死体が見つかった。
エルジェーベトはただちに幽閉の身となった。さらに彼女の犯行に加担していたとして4人の召使いが連行され、尋問を受け、彼女の恐るべき犯行を告白した。裁判は年が明けてすぐに始まり、証人たちは彼女の残忍極まりない犯行を証言し、計650人にもおよぶ犠牲者の名簿が提出された。
共犯とされた召使い3人が死刑判決を受けて直ちに死刑執行されたが、名門貴族の一員であるエルジェーベトは自身のチェイテ城の一室に幽閉されるのみとなった。ただし、その部屋の窓は埋められ、食料を差し入れるための小さな穴だけが外界との唯一の接点であった。