人間の弱さやダメさは一方で愛おしさでもある
――モジャたち登場人物のセリフは、映画を観た人たちの心に刺さるものが多かった印象です。こうしたセリフの中で、特に監督が今回伝えたかったものがあれば教えて下さい。
宇賀那:セリフというか、ストーリーの中で特に伝えたいことはあります。弱さやダメさみたいなものを愛する能力がモジャたちには備わっています。人間のことをわかってないから、そこを初めて見て「愛しい」と思うんですね。ただ、これは、モジャたちだけでなく、僕たち全員がそういうことをできる気がしています。そういう目線を日々持つことができたらいいんじゃないかな。人間の弱さやダメさは一方で愛しさでもあると思うので、そこをすくい上げたいと思いましたね。
――そういう人間の弱さやダメさを映画化する際、登場人物のセリフを工夫する必要があると思います。
宇賀那:ここ最近はそれをセリフにしないことをずっと選んでいたので、『みーんな、宇宙人。』は僕の中で大きい変化で、かつ、怖かった部分でもあるんですよ。失敗すると白々しくなってしまうからです。でも、そこは俳優部の皆さんが上手くやってくれました。
セリフについては、まず大枠のテーマを戸川さんと決めました。「こういうテーマとこういうテーマを入れ込みたいよね」と。それでそれに合わせて僕が脚本を書いていって、それに合わせて戸川さんがキャラクターのデザインやより細かい設定を考えてくれました。今回は今まで以上にプロデューサーと話し合って作った作品ではありますね。
僕は、映画作りの2周目に入った感覚があります。僕が以前撮った『クリスマスの夜空に』というオムニバス映画では、主人公の一人が「オレオレありがとう」をしていて、しかも、宇宙人が出てくるんですよ。『みーんな、宇宙人。』と全然話は違うけど、リブートしている感じがあります。
2016年に『黒い暴動』で長編映画デビューさせてもらってから8年経って、今までよりわかってきたこともあるし、できるようになってきたこともあります。いろんな人とつながるからこそできるようになってきたこともたくさんあって、そこにもう一回帰ってきている感じがすごく楽しいし、本質的に変わらないんだなとすごく思いますね。
――確かに、監督の映画全てに一貫しているものがあると感じます。ところで、セリフ以外で拘ったことがあれば教えてください。たとえば、セイヤがミントにタバコをあげているシーンは印象的でした。
宇賀那:全ての映画に対して僕がずっと思っていることの一つに、「メインストリームに立てない人たちにカメラを向けたい」というのがあります。タバコは現在、海外だと薬物みたいなイメージになっていて、映画祭に作品を出すときにも「喫煙のシーンがありますか?」と聞かれることもあります。タバコは人間のダメな部分かもしれないし、吸わない方が健康的かもしれません。でも、僕は「映画で潔癖に排除するべきことなのか?」「映画はそういうダメな部分をすくい取るメディアだったんじゃないのか?」と思っています。タバコはそういうメタファーかもしれません。僕は喫煙しないんですが(笑)。
――セイヤがミントにタバコをあげるのは、社会に対する批判も込められていたんですね。
宇賀那:ジブリ映画でも、何かをあげる行為は重要なキーワードとしてあって、わかりやすく交流を表します。今回は、何かをあげる行為が、エイリアンと人間の交流の一つの象徴としては重要だったかなと思います。
――ミサトもオレンジに食べ物をあげていますよね。宇賀那監督は食事のシーンに拘りがあるとお聞きしたのですが、ミサトのシーンにもやはり拘ったのでしょうか?
宇賀那:食べるシーンは、人間が生きている感じがすごくするし、それをあげるとなるとさらにすごく象徴的なものになります。だから、そこは拘りましたね。