自然村の定義
自然村はこれらの集団累積により、農民の行動を律する自足的で、体系的な文化圏を構成する。地縁的結合を基礎として、その範域での集団や社会関係が累積しており、社会的交流や生活の主な領域もそのなかで自足的に営まれる社会的統一体である。
自然村は壊れていないだから鈴木は、「明治以後行政村内の自然村はいろいろの政策により積極的にその存立を脅かされてきたにも拘わらず今日なお微力ながら存している」(鈴木、1971:180)とのべている。鈴木にとって、「自然村が壊れて、行政村しかない」という理解ではなかったのである。
あるいは、「行政近隣の上に自然近隣が成長し、行政村落の上に自然村落が成長する」(鈴木、1975:104)とも書いている。
日本農村社会学の歴史を繙けば、必ず「自然村」は登場する。神野の断言とは異なり、自然村は明治維新で崩してしまったわけではないことに気が付くはずである。
次に、本書で多用された「共同体」、「社会統合」、「共同意思決定」を素材にして、主張の「根拠」として使われたキー概念の未定義についてのべてみよう。
3.キー概念は独自に定義する
(1)違和感1…「共同体」概念が曖昧
重要な概念は定義する科学的な論文では、キーワードとなる重要な専門用語があり、それは使う論者により独自の定義を与えることが慣例になっている。ところが、本書では序章から「おわりに」まで数十回も使われる「共同体」、「社会統合」、「共同意思決定」の重要語についてまったく定義がなされていない。
これはかなり奇異なことである。なぜなら、「私ができることは、まさに、私たちの目的にとって有益である概念を定義することがすべてです」(シュムペーター、前掲書:176)は、社会科学の入口にあるからである。
「近代以前」の柱として「共同体」(生産・生活)は正しい序章では図序―1において、「近代以前」の柱として「共同体」(生産・生活)が置かれていて、「現代」になると、「家計」や「企業」に代えられている(:3)。それを神野は「共同体的社会」から「市場社会への変化」と捉えている。これは日本における「共同体」概念の自然な使い方である。
ところが、このような時間の流れによる「近代以前」の柱としての「共同体」は序章だけの使用だけであり、全編を通して「現代」にも「共同体」が生きているかのような認識の下で、この概念が繰り返されるようになる。
「家族という共同体しか存在しない」のかたとえば「人間の生命活動としての生活は、相互扶助や共同作業がともに行われる共同体を形成して営まれている」(:8)というような表現は随所にあるのだが、これは「共同体」の定義にはなりえない。
その理由は、「人間の生命活動として相互扶助や共同作業を含む生活」ならば、「近代以前」の村落だけではなく、程度の差はあれ「現代」の大都市でも認められるからである。
しかし、神野の視点には「現在では、家族という共同体しか存在しない」(:8)ようである。そうすると、都市社会学や地域社会学でシカゴ学派以来、日本でも積み上げられてきた膨大なコミュニティ研究成果が消えてしまう(金子、1982;2011)。
「地域共同体に亀裂が走って」(:9)も、都市社会学者・地域社会学者の大半はコミュニティの有無だけではなく、その概念にもこだわり、そのうえでその創出に創意工夫を凝らしてきた伝統があることが無視されている。
「共同体」はいつの時代の地域社会なのか序章図序―1では「共同体」を「近代以前」とした神野が、第1章以降で使う「共同体」はいつの時代のどういう地域社会なのかを明示していない。
たとえば第1章最後に、「地域の自然環境に調和するために形成された地域社会の共同体的人間関係が破壊され、同様に生活様式としての社会環境も解体された」(:45)時代はいつ頃なのか。また、それは空間的にみて地方村落か、小中都市か、県庁所在地か、政令指定都市か、そのなかの「都心部」なのか。
神野の叙述はそのような時代と場所を一切考慮していないから、論点が絞りにくい。ここではまさしく、「それぞれの命題があてはまるのはどのような前提の下であるのか」(シュムペーター、前掲書:55)が問われることになる。
社会学者は細かな分類を通して、それぞれの人間関係を実際に調査して、「共同体的人間関係」の有無や「共同的人間関係」が存在しているならば、その強化方法に長年腐心してきた(鈴木広編、1978)。
時代変化を無視した「共同体論」第2章で一般論としていわれた「人間が生存するための生活は、家族や地域社会などという共同体を形成して、社会システムで営まれる」(:67)ことは事実であるが、時代によってその形状は変化する。そのため「共同体とは存在していることだけを必要として、集まることだけを目的として形成された組織なのである」(:69)にもいくつかの留意点が必要になる。
「共同」の内容を問わなければ、「存在していること」や「集まること」はいつの時代でも通用するが、条件を付けてたとえば鉄道のない時代、鉄道だけの時代、クルマが少ない時代、クルマが各世帯に普及した時代、クルマを個人が所有する時代に分けるだけでも、移動条件が異なるから、従って「存在している」や「集まる」の内容も変化する。
さらに今日を「移動型社会」と捉え、そこでの「共同体」を論じるという姿勢は本書全体に欠如している。いわゆる「オン・ザ・ムーブとしての『創発するコミュニティ』」の問題である(吉原、2023:36)。
コミュニティ論は「都市だけど、都市だから」の二方向そのうえ現在では、都市コミュニティ論の「都市だけどコミュニティ」と「都市だからコミュニティ」の二極に別れ始めたという指摘が登場した(中筋、2023:124-128)。
この両者の時間的関連は、「村落共同体によって構成されていた伝統社会からまずは営利企業や単純なアソシエーション、「都市『だけれども』コミュニティが生みだされた後、それらに対抗、更新するように社会運動、都市『だから』コミュニティ、コミューンが生まれてくる」(同上:133)とまとめられる。
神野が使う時間の推移を考慮しない「共同体」では、21世紀の都市コミュニティでの問題認識や処方箋が描きにくいだろう。
対人サービスには「市場の領域」を含めるまた、「対人サービスは、家族愛、隣人愛、友情などに存在欲求の充足を求めて、共同体の相互扶助や共同作業として提供されていた」(:69)はもちろんあるが、それは明治大正昭和初期の村落の事例であり、21世紀の現在では、都市でも村落でさえも「対人サービス」は多かれ少なかれ「市場の領域」がすべてをカバーしてしまった。
これを私は「商助」と命名して、福祉面での「自助」や「公助」や「共助」を補っている(金子、2023:188-190)。
コミュニティはインフォーマル・セクターとボランタリー・セクターの両者から成立する他にも、社会システムが、「インフォーマル・セクターとして分類される家族やコミュニティという組織」(:103)と「ボランタリー・セクターに分類される組織・・・・・・労働組合や協同組合に加えて様々な非営利組織」(:103)に分けられるという表現にも、コミュニティ研究を長年行ってきた私としては違和感をもつ。
なぜなら、コミュニティにはインフォーマル・セクターとボランタリー・セクターの両者を含むという前提が社会学にはあるからである。
神野がいう「地域共同体という社会システムでは、構成員が家族内部、さらには家族間の自発的な協力によって、生活を保障し合っている」(:216)ならばなおさらである。
ここで使用された「地域共同体という社会システム」はコミュニティの社会システムであろうが、「地域生活の保障」はインフォーマル・セクターとボランタリー・セクターをともに使わないとうまくいかない。
示された家族像はいつの時代のものかその後第4章までは「共同体」論はほとんど登場しないが、第5章になると再び頻繁に用いられる。
たとえば「生命活動をともにするために組織されている家族には、共同体的な絆が存在し、家族の構成員の生命活動のために貢献したいと願い合っているという協力原理が機能している」(:214)などである。
このような家族像は日本ではいつごろなのか。1953年から連載開始のサザエさんの時代であれば該当するかもしれないが、21世紀の今日ではどうか。