「社会保障政府」は国民議論以前に専門家による熟議が前提

なぜなら、「社会保障基金政府」という国民もこれまで聞いたことがないテーマでは、「仲間意識」があっても議論ができるほどの成熟度が、今の日本国民には期待できないからである。これはまず財政学、政治学、行政学、社会学などの専門家が熟議しなければ、一歩も前進しない構想であろう。

しかも、「地方政府が生活の『場』における自発的協力を基盤にした政府」(:202)であり、「社会保障基金政府は生産の「場」における自発的協力を基盤にした政府」(:202)という対比だけでは、有効なイメージを得にくい。

その理由は、たとえば「地方創生」を取り上げても、それは「まち、ひと、しごと」の有機的な連携を模索する政策に連動しているからである。「生活」と「生産」は分離した対比的な関係ではなく、とりわけ地方自治体レベルではむしろ融合するところが大きい。

高齢者の「社会保障」はどうなる

また「社会保障」でさえも、「生産の『場』で働く者たちが、互いに掛け金を出し合い、疾病や失業などによって賃金を失った時に、賃金を保障し合う共済活動を基盤に成り立っている」(:203)だけではないであろう。

それだけならば、65歳以上の年金受給者3600万人や後期高齢者医療保険の該当者2000万人は、「社会保障基金政府」でどう位置づけられるのか。

これらは「国民の共同意思決定」の前に、適切な情報の提供が専門家による「熟議」を通して「社会保障基金政府」が管轄する国民階層に示されることが前提になる。そうしないと、国家としての「社会統合」も果たされない。なぜなら、そこにも国家によって巨額の税金が投入されてきたからである。

介護費用の分担の問題

さらに介護負担の問題がある。図2は令和6年(2024年)~令和8年(2026年)の札幌市の「介護費用総額」見込みである。札幌市の「住民基本台帳」による2024年人口総数は195.4万人であり、介護保険対象になる65歳以上の高齢者は55.9万人なので、高齢化率は28.6%に達している。

図2 介護費用の分担内訳出典:札幌市手稲区役所保険年金課「65歳以上の介護保険料について」資料(2024)より。

介護保険費用負担は、「国、北海道、札幌市」が全体の50%であり、残りを第1号被保険者である高齢者が23%を負担し、40歳~64歳までの医療保険加入者(第2号被保険者)が27%負担する。

基本的にこの構図は介護保険立ち上げの2000年4月から変わっていないが、神野が提唱する「社会保障基金政府」では、この3分割の方式はどう変わるのか。「介護費用総額」のうち中央政府と地方政府合計の負担分50%は、「社会保障基金政府」にそのまま献上されるのか、取りやめられるか。これは「社会保障」の根幹にかかわる問題になる。

さらに、たとえば中央政府も地方政府も首長がいて、議会がある。首相は国民が直接には選挙しないが、衆議院選挙に当選した議員から選ばれるし、知事も市町村長も全員が選挙によって決められる。

だから素朴な疑問として、かりに「政府」ならば、神野が構想する「社会保障基金政府」では首長選挙があるのか。それを決める有権者はどの範囲から選ばれるのか。ミスや不正があったら、どういう組織が対応するのか。これらについても具体的な内容を詰めていかないと、せっかくのアイディアが国民全世代に浸透しないであろう。

社会学からの違和感

この事例のように「人間社会の未来」を構想するためのヒントは多いが、社会学を学んできた経験に照らして本書を読むと、社会科学方法論の点でいくつかの違和感を禁じ得ない。

財政学には門外漢ではあるが、社会学を含めた社会科学という大枠の中で議論することは可能であろうから、その違和感を具体的に指摘して「その先の展開」のための素材としたい。

たとえば科学論のマッキンタイヤがいう、「まっとうな意義を唱えたい人は、異論の経験的根拠を示す必要がある」(マッキンタイヤ、2019=2014:370)は正しいので、以下では私なりの「根拠」を示すことにする。

2. 先行研究を点検する

自然村の理解が不十分

コミュニティ研究から出発した私が本書の中で一番に疑問視したのは、「日本では明治維新で自然村を崩して、行政村を成立させてしまった」(:215、以下本書からの引用は頁のみ)である。これは完全なる誤解である。

自然村

ここでいわれる「自然村」とは、社会学者鈴木榮太郎が集団の累積の仕方により、村落地区を第一社会地区、第二社会地区、第三社会地区に分けたなかでの「第二社会地区」を指すものである(鈴木、1940=1968:99-100)。

累積する集団

地区に累積する集団は、①行政的地域集団、②氏子集団、③檀徒集団、④講中集団、⑤近隣集団、⑥経済的集団、⑦管制的集団、⑧血縁集団、⑨特殊利害集団、⑩階級的集団である。

第一社会地区とは、①から⑩までのいくつかの集団の輪が小さい累積体であり、部落内の小字または組に相当する。第二社会地区は第一社会地区が複数集まった中位の累積体であり、一般に部落といわれる大字に当たり、これが自然村になる。第三社会地区はこれら中位の累積体(部落)が集まった最大のもので、いわば行政村に等しい。