1. 命が軽すぎる社会描写は、本当に「日本」なのか?

    で、SHOGUNに描かれる日本は、ちょっと「図式的に過剰」ではあるんですよね。

    主人公の三浦按針(徳川家康に仕えたイギリス人で本作の主人公の一人)が、自分にあてがわれた「部下」の庭師の爺さんに、「自分が軒先に吊るした鳥を触ったら駄目だよ」って言っておいたまま腐らせてしまって気づかずにいたために、その庭師の爺さんはそれを片付けると同時に自殺しちゃうっていう話が出てくるんですが、

    いやいや、そんなアホな

    って日本人でも思うと思います。

    このへん、一個後の記事で書いた「菊と刀」レベルにはなってないというか。

    敗戦日本の戦後統治がうまく行ったのは原爆でなく文化人類学のおかげという話|倉本圭造
    イスラエルのパレスチナに対する戦争(というか虐殺というか)について、色んなイスラエル寄りの立場を取る欧米人が、「日本の場合」を引き合いに出してるのを時々耳にするようになりました。 米上院議員、また原爆正当化 「イスラエルも何でもすべき」:時事ドットコム 【ワシントン時事】米共和党の重鎮グラム上院議員は12日...

    上記リンク先の記事で書いたようにルース・ベネディクトの「菊と刀」のすごいところは

    A・文化相対主義で異文化を対等に描く

    だけじゃなくて、

    B・「図式」だけで見ないで解像度高く理解する

    の両方があるところなわけですが、なんかこう、SHOGUNの方はどうしても「図式的」な部分が過剰になっちゃうというか、「菊と刀」に書いてあるのを字義通りに解釈してそのままそういう筋立てにしました的になっちゃってる部分はどうしてもある。

    こういう部族社会の成り立ちは、特に日本の場合、欧米における「宗教的不寛容」みたいな厳密性では成り立ってないところが欧米人が単純化して誤解してしまいがちなところで、なんとなく現場レベルで融通し合って問題が起きないように適切に処理する手管が存在するのもまた「部族社会」のありかた、みたいなところがあるはずなので。

    そもそも、日本人が自殺しやすい国民というイメージもすでに間違っていて、例えば自殺率を見ると今はアメリカとあまり変わらない(2014年は日本のほうが高かったが2019年にアメリカが逆転し、その後あまり変わらない程度で一進一退になっている。特にアメリカは若年層の自殺が飛び抜けていて深刻)ぐらいではあるんですね。

    だから、「え?この庭師自殺するかぁ?」っていう感じでシラケる部分はゼロじゃないんですが、ただ、かといって「全くその描写が日本社会の本質に立脚していないか」というとそういうわけでもないんですよね。

    日本人が普段の生活の中で、外国人から見たら「なんでそんな細かい部分にこだわってるの」ってなるような部分でも物凄く必死にこだわって生きているような、そういう部分の背後にあるメカニズムには、やはりこのSHOGUNに描かれているような、「宿命」の考え方とか、「恥」とか「侮辱をすすぐことを目的とする生き方」といったメカニズムは確かにあるよな、と感じさせる部分はある。

    単に「欧米人が勝手にエキゾチックに思い入れたいだけで作られた荒唐無稽なストーリー」かというとそうではなくて、むしろそこに描かれた「所作の美しさ」「人生の生き方」には、明らかに自分が生きているあり方への地続きの価値観を感じられる出来になっていると思います。

    特に「所作」に関しては、ガチの日本の時代劇スタッフが関わって徹底的にやってるんで、グッダグダにダラけた所作が染み付いてる現代日本人よりよほど

    「日本人としての正しい所作」

    が身についてるし、それ自体がなんかすごい映像的なパワーを持っていてすごいです。

    特に男性の「面構え」的な部分とか、女性の色香・・・みたいなのもほんとすごいあって、「現代日本人が色んなことをナアナアにすることで失われてしまったものを思い出させてくれる」的な要素はめちゃくちゃあったと思います。

  2. 「イデアとしての日本精神」を描いているのが成功例としての”SHOGUN”や”ゴーストオブツシマ”

    要するに、SHOGUNとか、「ゴーストオブツシマ」で描かれている日本というのは、「日本そのもの」というよりは「イデアとしての日本」なんですよね。

    現代日本人は「誉のために死ぬ」「恥を雪ぐために死ぬ」とか誰も言わないわけですが、ただ、「そういう要素」が日本人の生活の中に無いかっていうとそういうわけでもない。

    特に欧米人の生活の中で出てくる価値観と比較した時に、現代日本人の中にも「そういう要素」は確かにあるよなあ、という感じではある。

    では一方で、欧米人はこの「欧米的に捉えかえされた日本時代劇」に熱狂しながらどこに感動してるんでしょうかね?

    それはひとことで言うと結局、「都合の良い部族的論理」に耽溺したいと思ってる欧米人がすごい沢山いるってことじゃないかと思うんですね。

    現代欧米のスタンダードとなっている「ある種の左翼的論理の絶対化」に過剰さや課題を感じている層が世界中にいて、それがその「代替物」としての「武士道時代日本の倫理」を再発見する構造になっているところがあるんじゃないかと。