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1960年代半ばに量産した国産スポーツクーペという「奇跡」
1960年代半ばに量産した国産スポーツクーペという「奇跡」
日本の自動車産業は太平洋戦争前だと物流や軍事用のトラック、より簡便なオート3輪が中心で、大型乗用車はあったもののフォードやシボレーに信頼性や品質で劣り、国産ではダットサン(日産)やオオタの小型乗用車が主力でした。
戦後になって、1950年代に小型乗用車にトヨタ、日野、いすゞ、プリンスが参入するものの、いずれもタクシー用途がメイン。
唯一スポーツカーに熱心だったのは日産で、戦前からの名門「ダットサン」ブランドでダットサン・スポーツ DC-3(1952年)、ついでダットサン・スポーツ1000(1959年)、ダットサン・フェアレデー1200(1960年)を発売していきます。
しかし1960年代ともなれば、他社も次世代の売り物となる国産スポーツのコンセプトカーをショーモデルとして出展し、あるいはトヨペット カスタムスポーツ(1960年)やプリンス スカイライン・スポーツ(1962年)のように、少数販売も始まりました。
中でも日産のデザイナー陣を刺激したのが、1962年に発表されたコンセプトカー、日野の「コンテッサ900スポーツスプリント」で、こんな美しいクーペを自分たちでもデザインしたい…という動機により、日産上層部にも極秘で開発されたのが初代シルビアです。
1960年代後半には、他社でもイメージリーダーとなる高級スポーツクーペが続々とデビューするのですが、シルビアはその中でもいち早く1963年にプロトタイプを完成させ、1964年の東京モーターショーへ出展、1965年4月には市販へとこぎつけました。
初代シルビアは同時期にデビューしたトヨタ スポーツ800と並ぶ、国産初の量産スポーツクーペだったのです。