こんにちは。

今月26日米国東海岸時間で午前1時半ごろ、アメリカ東海岸諸都市の経済活動に関する陸海を通じた結節点とも言える、ボルチモア内港(インナーハーバー)で大事故が発生しました。

港の出入り口にまたがるフランシス・スコット・キー橋のうち、トラス構造になっている中央部が大型貨物船に衝突されて全面的に崩落し、水没してしまったのです。

ちまたでは「モスクワ郊外クロッカスホールの無差別銃撃テロへのロシアによる報復だろう」とか、「最近アメリカ政府が軍事費の援助を渋っていることに対するウクライナの報復だろう」とか、「イスラエル離れの気配を示し始めたアメリカに対する警告テロだろう」とか、さまざまな憶測が乱れ飛んでいるようです。

でも、私はまったくそんなことはない純然たる事故だったとしても、いや純然たる事故だったとしたらなおさら、現代アメリカの大都市が抱える病巣をさらけ出した、非常に深刻な事件だと思うのです。ですから、今日はこの件に関して書きます。

アメリカ国歌発祥の地を記念して建てられた長大橋

「なんとも長い名前の橋だなあ」と感じられた方も多かったでしょうが、フランシス・スコット・キーとは、アメリカ国歌<星条旗よ、永遠なれ>の作詞者の名前です。

そういう由緒ある名前をいただいた橋が次の写真のように、見るも無残に崩れ落ちてしまったのですから、アメリカ中で大騒ぎになりました。

アメリカで実際に生活したか長期滞在した方はご存じでしょうが、アメリカ国民の国旗と国歌に対する思い入れはとても深くて真剣です。

ふだんは人格円満で温厚な人でも、星条旗やアメリカ国歌についてちょっとでも侮辱めいたことを言う人には、恐ろしい剣幕で食ってかかることもしばしばです。

そして今回大事故が起きてボルチモア港を機能停止に陥らせてしまった長大橋は、たんにアメリカ国歌の作詞者の名前を頂戴しているだけではなく、彼が<星条旗よ、永遠なれ>という詩を書くきっかけとなった歴史的事件の現場に建てられていたのです。

1776年にイギリスからの独立を達成したアメリカについて、まだほんとうに独立国としてやっていけるのか疑う人も多かった1810年代前半のことです。

1812~14年にかけてかつてアメリカのの宗主国だったイギリスは、フランス皇帝としてヨーロッパ諸国の大半を征服したナポレオンに対する戦争が優勢に転じた余勢をかって、アメリカを屈服させ、旧植民地としての身の程をわきまえた存在にしようとする戦争を仕掛けてきました。

当時のアメリカでもっとも重要な貿易港はバージニア産のタバコを輸出し、アフリカ大陸からの黒人奴隷を輸入する拠点となっていたボルチモア港でした。そのボルチモア港を守るために1803年に建てられていた要塞が、五角形のフォート・マクヘンリーです。

米英戦争も終盤に入った1814年9月、イギリス艦隊の艦砲射撃に耐えて翻りつづけた星条旗をパタプスコ川の対岸にあるホーキンズポイントという場所から見ていて感動したフランシス・スコット・キーが書いた詩が、のちに国歌として採用された<星条旗よ、永遠なれ>なのです。

五角形の角(かど)ごとにペン先のような角(つの)が突き出したフォート・マクヘンリーのかたちは、オランダにも前例があるそうですが、のちに明治維新期の幕府軍最後の抵抗の拠点となった函館五稜郭にも受け継がれています。

また、現在のアメリカ連邦政府国防総省本庁舎、ペンタゴンも角(つの)はついていませんが五角形になっています。

そしてフランシス・スコット・キー橋の西端は、まさにこのホーキンズポイントに位置しているのです。

こうしてみると、建造は1972年着工で1977年竣工と供用開始からまだ半世紀経っていませんが、アメリカにとって国民的な歴史遺産として大事に守っていかなければならなかったはずの橋だったのです。

その大事な橋が、テレビやSNSが何度もくり返し動画再生を見せているように、大型貨物船による衝突というよりは接触程度の衝撃で、あれほどあっけなく全面的に崩落してしまったのです。「これは事故ではなく奇襲攻撃か破壊工作だ」と息巻く人たちが大勢出現したのも無理はないでしょう。