札幌でのミシャとの出会い

ー2018年に北海道コンサドーレ札幌に期限付き移籍されますが、このきっかけは?

三好:やっぱり出場機会が欲しかったので。川崎で3年目、僕が20歳のときに鬼木(達)さんが監督になって、なかなかまだ試合に絡めずでした。U-20のワールドカップに出て帰ってきたらチームではポジションがなくなってて(試合に出るのは)そんな簡単じゃなかったです。

でも、その年にチームは優勝したんです。このままではいけないなと思い、年間通して試合に出られるところが自分に必要だと思っていたちょうどその時に札幌からオファーをもらいました。ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)が監督になるっていうタイミングで声を掛けていただいて。ミシャも(僕を)欲しいっていう風に言ってくれました。実際に話を持ってきてくれたのは札幌の強化部の人でしたけど。

ーペトロヴィッチ監督は人格者としても知られていますが、彼から学んだことなどはありますか?

三好:やっぱり今も一貫してずっとやっている「ポリシーのあるサッカー」というか。練習中から、すごく緻密なポジション取りだったり、連携の部分の構成っていうのに、すごく感銘を受けました。

あとは外国人監督ならではというか、ミシャさんならではというか、選手との距離が近くてお父さんとかおじいちゃんみたいな感覚で常に見てくれている。特に試合に使ってくれる選手には手厚いコミュニケーションがあったなと思います。自分みたいなハタチの若造は日本だと若い選手として見られるじゃないですか?それをミシャさんは対等に見てくれました。

当時川崎の鬼木さんは小学校の時のコーチだったんで、それで難しい部分もありました。こっちはもうプロとしてやっているつもりでも、向こうからすると小学生の頃から知っているから、昔を知っている感覚もあるじゃないですか。一度育った川崎から出てみて自分が1人の選手としてどういうことができるのかっていうのを見るためには良いタイミングだったなと思います。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督 写真:Getty Images

ーペトロヴィッチ監督の指導を受けて「衝撃的だった」という選手が多いですが、彼の何がすごいと感じましたか?

三好:サッカーをすごく見ているし、自分たちのサッカーを主体に考える。相手が全く関係ないというわけじゃないですけど、相手は「ミシャさんのサッカーに対応しないと無理だぞ」というサッカーをする。絶対的主体が自分たちにあって、そこに対してや自分がやっているサッカーへの自信はすごいものを感じましたね。

ー札幌では26試合に出場。それ以前に比べて出場試合が増えましたね。

三好:途中、アンダー(年代別代表戦)などもあって(所属チームの)試合に出れない時期もあったので、初めて年間通して26試合に出ました。けど、アンダーがなければ30試合以上は出ていたから(試合数というよりは)「年間を通して戦えた」というところで自分にとってすごく自信になった1年でした。


三好康児(横浜F・マリノス所属時)写真:Getty Images