数百年の怨念 ロシアvs.コーカサス

 ロシアの広大な領土は、戦争で他民族を征服した結果だが、もっとも果敢にロシアに抵抗したのがコーカサス諸民族である。ロシアに征服される最終段階で約半世紀続いたコーカサス戦争(1817~1864)では、チェチェンの人口は半減し、その西方に住むチェルケス人は、虐殺と国外追放で7割から9割が失われたという被害を被っている。

 そのチェルケス人の子孫が独立委員会議長に就任したのは、象徴的だ。

 しかし今回、ロシア革命後に実在した独立国家「山岳共和国」復興構想が始動した背景として、1994年12月~2009年4月のチェチェン戦争を見なければならない。19世紀のコーカサス戦争の再燃だった。

 だが、この時はチェチェンだけが突出してロシアと戦い、徹底的な虐殺で人口の20%、侵攻直前は推定100万人だったから、20万人もの市民が殺されたのである。

 虐殺と破壊の後は、ロシアの傀儡アフメド・カドゥイロフ首長が実験を握り、共和国内で恐怖政治を行っている。独立派は母国を追い出され、世界に50万人、そのうちヨーロッパに30万人のチェチェン人が亡命しているとみられる。

 ウクライナ戦争で、いち早くロシア軍の先兵となり侵略に参加しているカドゥイロフ部隊が前線に出たのは、最初の3週間ほど。あとは後方に退き、パフォーマンスだけをネットで流している状況だ。

 反対に、チェチェン独立派は義勇軍を結成。ロシアがクリミアを併合し、ウクライナ東部のルハンシク・ドネチクに軍事介入した2014年から、10年間ウクライナ側で戦っている。その数は1000人を超えている。赤ん坊から老人、男女すべてでヨーロッパに30万人、全世界で50万人しかいないチェチェン移民のうち1000人が義勇軍に参加しているのは驚異的な数字だ。