野木亜紀子氏<脚本家が好むと好まざるとに関わらず「会えない」が現実>

 こうした内実について、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)や『アンナチュラル』(同)などで知られる脚本家の野木亜紀子氏は2日、自身のX(旧Twitter)上に次のようにポストしている。

<原作がある作品の脚本を手がける脚本家が、事前に原作者に会う/会わないの話ですが。脚本家が好むと好まざるとに関わらず「会えない」が現実で、慣例だと言われています。私も脚本家になってからそれを知って驚きました。

良くいえば「脚本家(あるいは原作者)を守っている」のであり、悪くいえば「コントロール下に置かれている」ことになります。

慣例といっても、原作サイドから「事前に脚本家と会いたい」という要望があれば、プロデューサーも断れるはずがなく、そんな希望すら聞いてくれないのであれば作品を任せないほうがいいし、それを断る脚本家もいない……というか、会いたくないなんて断った時点で脚本家チェンジでしょう。原作がある作品において、脚本家の立場なんてその程度です。

次に、事前の話ではなく、脚本を作っていく中でのやり取りの話ですが。

注意)今回のドラマがどうだったかはわかりません。作品によって異なります。以下は、あくまで一般論(この12年で私が見知った範囲内)の話です。

脚本家からしたら、プロデューサーが話す「原作サイドがこう言ってた」が全てになります。私自身も過去に、話がどうにも通じなくて「原作の先生は、正確にはどう言ってたんですか?」と詰め寄ったり、しまいには「私が直接会いに行って話していいですか!?」と言って、止められたことがあります。(後に解決に至りましたが)>

 問題となった『セクシー田中さん』でも、脚本を担当する相沢友子氏が昨年12月に自身のInstagramアカウント上に次のように投稿していることからもわかるとおり、原作者と脚本家は直接のやりとり行っていなかったとみられる。

<最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました>

<今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように>

 日本テレビ局関係者はいう。

「日テレとしては『セクシー田中さん』の問題について、現時点では調査やその結果の公表などをする意向はない模様。経緯はどうであれ、制作・放送にあたっては最終的にはきちんと脚本家の意向を反映して承諾を受けた脚本を採用しており、改変した内容を原作者の許可がないまま放送したというわけではないからだ。ただ、問題はテレビ界全体に波及しており、このまま幕引きというわけにはいかない空気になっているのも事実だ」

 当サイトは1月31日付記事『セクシー田中さん』問題の背景について報じていたが、以下に改めて再掲載する。

――以下、再掲載(一部抜粋)――

 日テレ関係者はいう。

「一般的に原作サイドとテレビ局の間で取り交わす契約書では『原作者の許可なく改変してはいけない』というレベルの大枠までしか書かれておらず、具体的にどれくらいのどういう変更なら許容されるのかといった細かい内容までは書かれない。そこまで細かな内容をあらかじめ契約書に盛り込むのは現実問題として難しく、今回の『セクシー田中さん』では芦原さんが要求していた『原作に忠実に』のレベルの厳しさが、小学館と日本テレビを通じて脚本家にきちんと伝わっていなかったとみられる。原作者がどこまで原作に忠実であることを求めるのかは、その原作者によってまちまち。ドラマ制作の現場では、その都度、プロデューサーなりが原作者と脚本家の間の言い分を調整し折り合いをつけながら進めていくものなので、今回も制作サイドとしては『進めていくなかで調整していく』という意識だったと考えられる。

 現在ではウチの局に限らず『原作者の意向が最優先される』という大前提がドラマ制作にはある。ただ、局の制作スタッフや脚本家としては『原作者がそこまで細かく要求してくるのは、いかがなものなのか』と抵抗を感じる場面が出てくるのも事実で、それゆえに最悪、脚本家の降板などが起きる。『原作に忠実』というのは大事だが、連ドラは1話1時間で全10話ほどという制約があり、各話のラストでは翌週の回まで視聴者を引っ張るように工夫し、さらにいえば『ドラマとして面白いもの』に仕上げなければならず、完璧に原作に忠実にすることは不可能。当然ながら脚色や原作にない内容の挿入などが発生する。それを原作者側が『仕方がないこと』『ドラマとしての演出』と理解してくれるがどうかは、その原作者次第になってくる」