真の信頼とは何か? を心得ているからこそピンチを乗り切れた経営手腕

経営者の実力が如実に出ると言われているピンチの時の対応についても、藤澤武夫は昭和の名経営者と称されるに相応しいエピソードを持ちます。
1950年代に朝鮮戦争の特需が終わって著しく不況の時代にホンダは、製品の商品力の問題や競合メーカーの台頭もあって、かつてないほどに厳しく倒産寸前とも言える経営状況に陥っていましたが、そのピンチを打破するために経営を担っていた藤澤武夫は並行して、ひとつひとつを確実に“真の信頼とは何か?”を念頭において対応したことが功を奏し、ピンチを脱しています。
まずは、銀行との深い関係性と信頼を築くためと、有事の時にいくつもの銀行を駆け回る必要がないようにと、一本化していた三菱銀行(現 三菱UFJ銀行)へ会社の状況について誠心誠意に包み隠さずに話したことで支援を得ることができ、一方では、提示した従業員へのボーナスが相場の1/5程度であったために、大規模労働紛争にも発展しかねなかった労働組合との労使会議で組合員1800人ほどの説得も成功させ、さらに取引先である“サプライチェーン”への減産要請や入金遅れへの理解も得ることを実現して、このかつてない難局を乗り切っています。

また、このタイミングで世界最高峰のオートバイレース、イギリスのマン島TT(Tourist Trophy)レースへの出場もホンダは宣言していて、苦しい時こそ夢を持つ必要性も内外へ提示、それが後のマン島TTレースやF1(Formula1)レースでの優勝につながっています。

そういった各種の課題を一言に“対応した”と表現してしまうのは簡単ですが、これらはとてつもなく難しいことで、どこかひとつでも破綻してしまえば会社は倒産してしまい従業員とその家族の生活を守ることはできません。本当に綱渡りで、例えようのない緊張感とプレッシャーを伴う重い責務です。

これには将来に向けて時勢や市況といった状況を見極める分析力、信頼や人望とでも言うべき備え持ちあわせる人間力、論理的な計画による実行力といった様々な経営者に求められる資質とそれを活かせる才能がなければ、到底実現できないと考えられます。
“ピンチはチャンス!”という言葉が存在するように、このピンチによって藤澤武夫と三菱銀行や組合員との関係性や信頼がさらに向上したことは容易に想像できます。
後に藤澤武夫は「三菱銀行への恩を決して忘れてはならない」とも語ったと言われていて、そういった人と人との関係において大事にしなければならないことを現代にも伝えてくれていると感じます。

「本田宗一郎とともにホンダを創業した藤澤武夫の功績」【自動車業界の研究】
(画像=1959年のマン島TTレース初出場(Honda)、『CARSMEET WEB』より引用)

ホンダにもたらした革命と現代に通じる経営施策の数々

現代の企業グループにおいては複数の会社によってホールディングスを形成していることは普通のことですが、藤澤武夫が経営を担っていた時代、既にホンダはいくつかの主要部門をいち早く企業として独立させて、新会社を創設しています。
1960年には研究開発部門を独立させて株式会社本田技術研究所を設立、万物流転の法則に従って物事は必ず移り変わるため、本田宗一郎と言う一人の天才技術者に変わる存在やアウトプットを生み出すことを、組織体制として構築することが必要という考えがあったとのことです。
研究所の設立にあたっては、目先の業績に左右されずに集中して研究開発ができることなどに主眼がおかれ、勤務における自由度も高く、待遇面も十分に配慮され、いわゆる文鎮型の組織と言われる並列組織で研究員、主任研究員、主席研究員などが自由闊達に技術論を繰り広げられるという、技術者にとっては願ってもないフィールドであるのではないでしょうか。

また、藤澤武夫は研究所設立より前の1959年に、ホンダの福利厚生の充実を目的として初の子会社であるホンダ不動産興業株式会社(現 ホンダ開発株式会社)を自身が社長として設立、さらに1963年には技術者として創業時からホンダを支え、埼玉製作所長、他を歴任してきたホンダの常務で本田宗一郎の実弟でもある本田弁二郎(故人)の、「技術をもって社会に貢献する」を実現するホンダ鋳造株式会社(現 本田金属技術株式会社)の創業にあたって、同社の初代社長を藤澤武夫は担っており、重要だと捉えたことは積極的に経営トップとして推進することはとても秀逸です。

同様に社長の重要性を物語るエピソードとしては、ソニー(ソニーグループ株式会社、創業当時は東京通信工業株式会社)においても、創業者である井深大の義父で文部大臣等も歴任した前田多門(故人、1884年 大阪府生まれ)が初代社長を務めていました。

後のホンダの発展に欠かせない、現代で言うところの戦略事業会社とも言うべき別会社をこの時代に立ち上げているところや、同族経営とせずに誰にでも会社を経営できるといった社風の醸成への貢献、他にも数々の優れた経営施策を藤澤武夫は遂行しており、類まれなる先見性と論理的で合理的な経営者としての側面が見出せるのではないでしょうか。

「本田宗一郎とともにホンダを創業した藤澤武夫の功績」【自動車業界の研究】
(画像=株式会社本田技術研究所(Honda)、『CARSMEET WEB』より引用)
「本田宗一郎とともにホンダを創業した藤澤武夫の功績」【自動車業界の研究】
(画像=本田金属技術株式会社(本田金属技術)、『CARSMEET WEB』より引用)
「本田宗一郎とともにホンダを創業した藤澤武夫の功績」【自動車業界の研究】
(画像=本田弁二郎(本田金属技術)、『CARSMEET WEB』より引用)
「本田宗一郎とともにホンダを創業した藤澤武夫の功績」【自動車業界の研究】
(画像=ホンダ開発株式会社(ホンダ開発)、『CARSMEET WEB』より引用)