■バブルの発生

当時の中曽根康弘政権は、円高不況に対応するため、内需を刺激し、金融緩和策を講じることにした。日本銀行は、1985年に5%だった公定歩合を、1986年3月には4.0%に下げ、その後も引き下げを続けて、1987年2月には2.5%と戦後最低の水準になった。

この金融緩和策は、マネーサプライを増やした。つまり、お金がジャブジャブと溢れ、その金が投資先を求めて株や不動産に流れていったのである。日経平均株価は金融緩和のおかげで半年後の1988年4月には暴落前の水準に回復し、1989年12月29日には史上最高値の3万8957円44銭をつけた。

日本マネーは海外でも金融資産、不動産などを漁った。1987年には、安田火災海上保険(現損保ジャパン)が、ロンドンで行われたクリスティーズの競売で、ゴッホの「ひまわり」を53億円で落札した。一枚の絵の取引としては最高額であった。

こうして、日本はバブルに突入していった。1986年12月頃に始まったバブルは、1991年2月頃まで続くことになる。