なんでこういうことになるかというと、人間が考えるやさしい仕事・むずかしい仕事の区別と生成AIにとってのやさしい仕事・むずかしい仕事の区別は、まったく違うからです。図式化するとこうなります。
生成AIは人間が日常使っていることば、自然言語をコンピューターでも推論演算ができるプログラム言語で言い換えればどんな指示を出されたことになるのかという自分自身の中での自然言語からプログラム言語への通訳にものすごい量の演算機能を使ってしまいます。
擬人化して言えばかんたんな質問に答えを出す頃にはへとへとにくたびれきっている状態になっているのです。
だから、一語一語の定義がはっきりしている法律用語に関しては司法試験に受かるほど高い正解率をたたき出せても、2ケタの数字同士の足し算や引き算ではけっこうひんぱんに間違えるわけです。
というわけで、生成AIがほとんどありとあらゆる仕事を人間から奪ってしまうといった危機感はまったく見当外れだったことがわかってきました。実際に職を奪われるのが、どんな仕事に就いている人たちかというと、次のグラフのとおりです。
生成AIで天下を取れるような気でいた情報テクノロジー産業や、がっぽり儲ける気でいた金融業界の人たちがいちばん大勢職を失うだろうという皮肉な予測になっています。
なお、上のグラフは人体で言えばほとんど神経系の仕事に携わる人たちばかりに目配りしていて、筋肉系の仕事をしている人たちはあまり登場しません。その人たちもほぼ網羅した予測を見ると、以下のとおりです。
私はAIの普及が進むことで社会にとっていちばん健全な変化は「自分は頭脳労働をしているんだから給与も社会的地位も高くて当然だ」という考え方が妄想だとわかって、むしろそういう人たちは供給過剰で給与も地位も下がり、手に職を持っている人たちの給与や社会的地位が上がることではないかと思っています。
なお、職種による人員縮小の規模についてはほぼ正確な推計をしていると思われる上のグラフも、「世界GDPが年率7%で上昇する」としているのは、明らかな過大評価でしょう。
長い経済史の中で神経系の仕事が供給過小でボトルネックになっていたことは、ほぼ皆無と言えるぐらい少なかったのです。ほとんどのボトルネックは実際にモノを動かす筋肉系で起きていました。
だからこそ、過去に起きていた大きなイノベーションの波の中でいちばん経済成長への貢献度が高かったのは、内燃機関や電力がさまざまな職場だけではなく家庭にも浸透し始めた19世紀末から20世紀初めで、1980年代以降の情報技術における大革新はそこまで大きな貢献はしていないのです。
当然AIが年率7%もの経済成長への貢献をするはずはありませんが、この表を作成したARK投資顧問の代表、キャシー・ウッドは「そんな劇的な成長加速はなかったじゃないか」という批判への答えを前もって用意しています。
「消費者余剰」というのは市場でものを買った人たちはそれぞれもっと高くても買っていただろうけれども、市場で同じものは同じ値段で買えるので、自分の評価より安く買えた分だけ豊かになっているという意味の経済学用語です。
たしかに存在するからこそ市場経済がうまく動いているとは言うものの、社会全体でそれがいくらぐらいの価値になるかは、まったく雲を掴むような話で推計のしようがありません。実際、このグラフも過去の実績はあくまでも市場取引の価格から弾き出した数字で消費者余剰込みではありません。
将来の推計は消費者余剰も込みで出すことになれば、いくらでも高い成長率を「予測」することができるわけですし、その予測が間違っていたと証明することもできません。
そんな小細工をしてまでしょせん神経系のワークロードの低い分野で偉大な成果が得られるはずだと言い張るのは、こういう予測を出すのは神経系の仕事しかしたことがない(できない)人たちで、だれでも自分は立派な仕事をしていると思いたがるというだけのことです。
ただ、アメリカではかなり怖い意味で、生成AIの仕事量が爆発的に伸びそうな分野があります。スザンナ・マッコークルの生い立ちのところでもご紹介した、精神的な疾患にどう対処するかという分野です。