660cc旧規格への対応と、2代目トゥデイの大誤算
1990年の規格改正に対する軽自動車メーカー各社の対応はマチマチで、ダイハツ ミラのようにフルモデルチェンジを合わせた例もあれば、スズキ アルト、三菱 ミニカ、スバル レックス、独自モデル時代のマツダ キャロルは排気量拡大と前後バンパー延長などで対応。
1988~1989年デビュー/モデルチェンジでまだ新しいアルト、ミニカ、キャロルがそうなるのは当然でしたが、1985~1986年に先代ミラ(1985年)と同時期デビューで少々古かったレックスや、ホンダのトゥデイもしばらくマイナーチェンジで継続販売を選択します。
スバルもホンダもまだ自動車メーカーとしては小規模で、開発余力が少なかったのが理由と思われますが、いずれ新型のヴィヴィオ(1993年)が後継となったレックスと異なり、トゥデイはその後も長く販売が続きます。
なぜかといえば、1993年に発売され、後継になるはずだった2代目トゥデイがハッチバック車ではなく荷物の積載能力で著しく劣る独立トランク式を採用、初代同様のリアサスペンション取付部車内に大きく張り出す構造も、さらに積載力を悪化させていました。
2代目トゥデイのパッケージは走行性能を高めるには大きな効果を発揮し、後にレースではビート同様のMTRECエンジン(ただし実用向けデチューン版)との組み合わせで猛威を振るうのですが、実用車としての使い勝手とは両立できていません。
軽ハッチバック車としては、商用登録の初代トゥデイPROが継続販売されていましたが、当然使い勝手は初代が上で、2代目トゥデイの販売実績は散々な結果になりました。