「来なきゃよかった…」ベルギーでの苦悩の日々

そして2022年1月、坂元は当時ベルギー1部に所属していたKVオーステンデへの期限付き移籍を経て同年夏に完全移籍した。坂元はチームのMVPに輝くなど個人で高い存在感を発揮したものの、チームは2部へと降格。自身もリーグ戦では0得点と攻撃面で持ち味を見せることができないシーズンを経験することになった。

ー代表を経験して海外への意識が芽生えたとのことですが、オファーがあってベルギーを選んだのですか?それとも代理人に探してもらったのでしょうか?

坂元:オファーがあったのがKVオーステンデ。ほかにも少し興味を持ったりオファーをもらってたチームもあったんですけど、結果的にオーステンデに行きました。アメリカとかからもオファーがありましたが、僕はやるならヨーロッパでやりたいという思いが強かったんです。(欧州からの)オファーはオーステンデだけでした。

ーなるほど。それで即決で行こうと?

坂元:迷いましたね。さっきも言ったように僕は内気な性格ですし、チャレンジしたいっていう思いは強かったんですけど、その時ちょうど怪我をしていて。グロインペイン(股関節痛の症状)でC大阪2年目の半年くらいずっと痛がりながらプレーをしてたんですね。

で、個人的にも調子が上がり切らずにチームとしてもなかなかうまくいかない時期が続いて、このままベルギーに行ってもいいのかっていう思いがやっぱりありました。しっかりと怪我を治して万全な状態でもう一回日本で活躍し直してから行ったほうがいいんじゃないかって思いが強くなってたところでオファーをもらったのですごく迷いました。

でも、清武さんがそこで一番背中を押してくれて。あの人は海外経験している選手で、結果も残してきた人なんで、そのキヨくんが「オファーあるなら絶対に行け」って言ってもらって決めましたね。本当にそれで決めたと言っても過言じゃないくらい。迷ってたんで背中を押してもらいましたね。

ー当時ご結婚されていたことも海外移籍を迷った理由ですか?

坂元:奥さんは「行くなら付いていくよ」って言ってくれる人だったんで、それはすごくありがたかったです。逆に1人で行くというよりかは、奥さんにきてもらった方が僕的には安心ですし。ただ、そのとき子どもが生まれたので、最初の7ヶ月くらいは1人でベルギーでやっていました。

ーオーステンデでは個人としてチームMVPを受賞したものの無得点でした。この時を振り返ってみるとどうでしょうか?

坂元:オーステンデは苦しかった…今までで一番苦しかったんじゃないかなって思います。僕自身、試合にはほとんど出させてもらってたんですけど、ウィングバックでチームとしてなかなかうまくいっていない中で守備しかしていないんですよ、ほとんど。

なのでゴールを取れるチャンスもほとんどなかったですし、僕自身左ウィングバックが一番多くって。基本的には左右のウィングバックで1年半やってたんで守備をある程度はできる自信はあったんですけど、攻撃でもっと結果を残したいという思いはずっと持ってました。結果的に降格しちゃったんですごく責任を感じてますし、苦しかったですね。

ベルギーでは守備の部分で学んだものはたくさんありましたし、MVPももらって得られたものもたくさんありました。振り返ってみれば「良かったな」とは思いますけど、やっている最中は6-0とかで負ける試合も結構ありました…。

ーオーステンデは海外デビューとして良い選択だったと思いますか? 

坂元:振り返れば良い選択だったって思いますね。当時は「来なきゃよかったかな」と思う時期とかももちろんあったんですけど(笑)帰りたいなって思うこともありました。大差で負ける試合だらけだったんで「これで上がれないならもう帰るしかないな」っていう風に思っている時期もあって。ただ「来てよかった」と思える経験にはなりました。


コヴェントリー・シティ MF坂元達裕 写真:Getty Images