■連続殺人の始まり
1972年5月7日、ケンパーはヒッチハイク中だった18歳の女子大学生メアリー・アン・ペスチェとアニタ・ルチェッサを車に乗せた。彼は人気のない場所に車を停めると、まずペスチェに手錠をかけた。本人の供述によると、この時、手の甲がペスチェの胸に当たってしまい、「すみません」と思わず謝ったという。それからペスチェの頭にビニール袋を被せると、次にルチェッサを車から降ろし、車のトランクに押し込んだ。

(画像=メアリー・アン・ペスチェとアニタ・ルチェッサ。画像は「Daily Mail」より引用,『TOCANA』より 引用)
ケンパーがペスチェのところに戻ると、彼女はビニール袋をなんとか食い破っていた。布を首に巻きつけて締めようとしたがうまくいかず、ケンパーはペスチェの背中を何度もナイフで刺して、喉を掻き切って殺した。それからトランクのルチェッサを引きずり出して、全身をめった刺しにした。
二人の遺体をそのまま家に持ち帰ると、その夜、ケンパーは凌辱の限りを尽くした。その遺体を犯し、頭部や手足を切り落とし、胴体を切り裂いて内臓をもてあそんだ。その後、バラバラにした遺骸は袋詰めして山中に埋めたが、首だけはしばらく手元において、それから谷底に投げ捨てた。