社会主義者による攻撃は、基本的に2つの観点から行われます。
一つは独占の規制です。独占を規制することによって、収穫逓増の効果を損ない、経済を停滞させるのです。新古典派の理想に基づいて規制すれば、「準レント(準地代)」はゼロになります。したがって、成長するインセンティブがない完全競争の世界になってしまいます。
結局のところ、それが行うことは、シュンペーターのいう創造的破壊のプロセスを中止することです。なぜなら、これらの創造的破壊のプロセスは、社会のいくつかの問題を解決することでより多くのお金が得られ、それが技術の進歩と成長を生み出すという考えに基づいているからです。したがって、価格や量を規制することは財産権を破壊することを意味するという事実だけでなく、もし利潤を規制すれば、停滞という問題を抱えることになります。
実際、私が知っているアルゼンチンという国の例をお話ししましょう。
20世紀には世界で最も裕福な国のひとつであったにもかかわらず、現在では世界ランキング140位で、50%以上が貧困層、10%以上が極貧困層です。規制の数を見れば、その理由がわかるでしょう。
私たちの政府チームの中で、経済システムの機能を妨げている38万もの規制を発見しました。我々の2大要求は構造改革であり、DNUと基礎法は、アルゼンチン国民にもっと自由を与え、より競争的な市場構造に移行し、そして何よりも政治から腐敗をなくすことを提案するものです。
この退廃的なシステムの受益者たちは、腐敗したカーストのために善良なアルゼンチン国民を貧困化させています。私たちは、この退廃的なシステムの受益者から大きな抵抗を受けています。
腐敗したカーストとは、アルゼンチン人の幸福よりも自分たちの特権を優先する泥棒政治家、腐敗した政治家と取引する実業家、私たちが公式広告を排除したために私たちに怒り心頭の腐敗したメディア、国民を敵に回して自分たちのビジネスを世話する労働組合員、そして国家という宗教に奉仕し腐敗した人々を擁護することで生活している専門家で構成されています。
彼らは、私たちの偉大な闘いに気がつくでしょう。しかし、我々はアルゼンチンを再び偉大な国にすることを諦めるつもりはありません。
社会主義者と国家主義者が攻撃するもうひとつの大きな脅威は、基本的に効率と分配の議論です。そこでは、資本主義は超個人主義的なシステムであると指摘され、他人の金を使った社会主義的な利他主義と比較されます。 社会主義の利他主義は、常に他人の金が使われるのです。
そしてこの逸脱は、社会正義の名の下に実行され、ハイエクは、これをずるい表現だと語っていました。社会主義者たちが、この「正義」という言葉を使うたびに、それはまったく逆の意味をもっていました。実際、偉大なヘスース・ウエルタ・デ・ソト(※)が言うように、社会正義は暴力的で不正義であり、正義でも社会的でも何でもないのです。
※ヘスース・ウエルタ・デ・ソト(1956~) 現代オーストリア学派の経済学者。 著書「通貨・銀行信用・経済循環」「オーストリア学派」は、自由主義研究所の主任研究員・蔵研也が翻訳しています。

ヘスース・ウエルタ・デ・ソト
第一に、それは法の下での不平等な扱いを意味し、社会正義が意味する再分配は、ある者から盗んで別の者に与えることなので不当です。これは社会正義を暴力的なものにしているだけでなく、不正義なものにしています。
これと同じように、「制限のない民主主義」という考え方も、問題をさらに悪化させています。民主主義は本来、少数派の中でも最も小さな存在である個人の権利を尊重するように設計されたものです。しかし、社会主義の思想が入り込み、制限のない民主主義という考え方が入り込むと、ポピュリズムが入り込みます。
抽象的な話にとどまらないように、例を挙げましょう。4匹のオオカミと1羽のニワトリが集まったとしましょう。さあ、今夜何を食べるか投票しましょう。
…彼らはニワトリを食べました。
基本的にこれは経済でも起こることで、金の卵を産むガチョウは富を生み出す層ですが、所得分配の形により、人口の80%が平均所得以下の所得しかありません。
そこで登場するのが、金持ちから巻き上げて貧乏人に配ろうというポピュリスト政治家です。ベネズエラ、アルゼンチン、そしてすべてのラテンアメリカのポピュリズムだけではありません。そうなれば、利益は破壊され、経済成長は破壊されます。
現実的な話をするならば、アルゼンチンは4億人以上の人類のための食料を生産している国ですが、食料生産部門の税負担は70%です。つまり、2億8000万人分の食料を国が奪っているのです。それにもかかわらず、忌々しい国家のせいで食べることができないアルゼンチン国民が500万人もいるのです。
社会主義者が議論するもう一つのものは、所得の分配に関係するものです。彼らはこのシステムが不公正だと言います。イズラエル・カーズナーの『Discovery, Capitalism and Distributive Justice』というすばらしい本があります。
その本は、「資本主義システムの方が生産性は高いが、もしそれが本当に不公正であれば、擁護する理由はない」というカーズナーの仮説に基づいています。その意味で、これは2つの考え方に基づいています。
1つは、ジョン・ロックの無主物先占の原則、つまり発見した者がそれを手に入れるという原則です。何かを発見したら、それを自分のものにするのです。
そしてもう1つの考え方はハイエクのもので、発見プロセスとしての市場というものです。これは、分かち合うケーキは存在せず、ケーキは生産されるときに創造されるということを意味しています。したがって、生産工程を進めるうちにそのケーキが発見されるのであれば、そのケーキはそれを発見した者によって占有されるのが道理です。
だから、資本主義システムは、より生産的であるだけでなく、公平な唯一のシステムでもあります。そして、あらゆることを考慮しても、私たちが社会主義者たちを牽制していることは真実です。
彼らにもう一度言いましょう。
独占を規制し、企業を規制し、かつては競争的プロセスであったものを規制し、同時に社会正義の概念を導入すれば、当然ながら停滞を招きます。
そして、この停滞は、人口の増加を考えれば、その国の段階的な貧困化につながります。
これをどうやって是正するかといえば、中絶という殺人的な政策で是正するのです。
その起源は、ユダヤ人を絶滅させようとしたエジプト人や、避妊を奨励したマルサスの『人口論』と「賃金の鉄則」にあります。あるいはもっと身近なところでは、1960年代の終わりにローマクラブが発表した「世界は化石燃料で動いており、これらのエネルギーは再生可能ではないため、2000年にはこれらの資源が枯渇する」という予測にあります。
しかし、このような状況は、すべての人の食料がなくなり、私たちが死に、地球上に10億人しか残らないことを意味します。
そして今日、ニクソンとキッシンジャーの機密ファイルが公開され、彼らが中絶という殺人計画を提案していたことがわかりました。たとえば、〇〇は(※注:不明です)、世界中にはマクドナルドよりも店舗数が多いのです。
しかし幸いなことに、今日80億の人間が世界で暮らしているのだから、彼らはまたもや間違っていたのです。しかしながら、彼らはこの殺人的な政策を止めません。
実際、ポスト・マルクス主義は経済分野での敗北に直面し、階級闘争の戦いを生活の他の側面、例えば環境主義に移しました。地球温暖化については、地球の歴史上すでに4回起こっています。まだ人類はいなかったのに、温暖化を人間のせいにしているのです。
この問題を解決するために、ネオ・マルクス主義者は、人間を絶滅させること以外には考えません。もし私たちが本当に資源に問題を抱えているなら、私たちは死刑を宣告されるのではなく、他の惑星に植民地化することを望むべきです。実際、人口増加に反対するこれらの分析はすべて間違っています。
ここで、ジュリアン・サイモンという非常に楽観的な経済学者の例を挙げましょう。彼は、人口増加はより多くの技術進歩をもたらすと指摘しました。彼は、基本的には、人が増え欠乏などの問題が発生すると需要によって技術が成長し、それが価格体系に影響を及ぼし、これらの問題を解決するために新たな改革と新たな技術進歩が生み出されたと指摘しました。
一方、彼は、技術進歩は供給側によっても推進されると指摘しています。例えば、モーツァルトが生まれる可能性は、人口が100万人の場合のほうが、人口が10人だけの場合よりもはるかに大きい、と指摘しました。