今年11月に大統領選挙を控えるアメリカで、2月下旬、首都ワシントン近郊で保守系政治集会「保守政治行動会議(CPAC)」が開催されました。

アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領も出席し、今年1月のダボス会議での演説の「政治的見解を支えたテクニカルな基盤」について話しました。

今回は、CPACのミレイ大統領の演説全文を和訳して紹介します(太字と括弧と※注は筆者です)。

こちらのダボス会議の演説のnoteも合わせて読んでいただけると、理解しやすいと思います ↓

「自由のための戦いを諦めてはいけない」

皆さん、こんにちは。私はライオンです!自由万歳! ローカルな現象に過ぎないと思われていたものが、少し大きくなったようです。

まず最初に、ご招待いただいたことに深く感謝いたします。

今日の会議についてですが、私は以前ダボス会議で講演し、社会主義的、国家主義的思想の台頭によって西側が直面している危機を強調しました。今日は、ダボス会議で私が話した政治的見解を支えたテクニカルな基盤に焦点を当てたいと思います。

その意味で、新古典派経済学とその「市場の失敗」に対する見方が、いかに社会主義の前進を促進しているか、そしてそれがいかに幸福の向上と貧困との闘いにブレーキをかけ、経済成長を破壊しているかに焦点を当てて話そうと思います。

この問題の発端は、「モデルと現実」の方法論上の問題です。現実は常に分析するのが非常に複雑であるため、モデルを用いて分析されますが、一般的に、モデルが現実と一致しない場合は、モデルは修正されます。新古典派の問題は、モデルが現実と一致しないという問題に直面すると、現実に対して怒り、それを「市場の失敗」と呼ぶことです。

この問題の起源は、競争的均衡理論の規範的な性質に関連したものです。つまり分析が均衡の存在性、独自性、安定性に焦点を当ててきており、政治的観点から見た深刻な問題だとは考えられて来なかったのです。 厳密に言えば、問題が生じるのは、規範的な分析をパレート最適性の分析とともに視野に入れるときです。

基本的に、パレート最適の考え方は「他の誰かを悪くすることなく、誰かを良くすることはできない」というものです。具体的に言うと、私が誰かを改善できる状況にあり、他の誰かの状況を悪化させることなく、その人の状況を改善した場合、それはパレート改善と呼ばれます。そして明らかなことですが、そのような機会が尽きたとき、パレート最適に達していることを意味します。

「市場の失敗」の定義にはさまざまな呼び名がありますが、ひとつは非凸性、つまり収穫逓増の法則です。より一般的に言えば、市場構造の集中や独占です。

他のケースとしては、外部性、つまり公共財における非対称的な情報の問題や「囚人のジレンマ」があります。そして実際には、これらの難しそうな定義はすべて、国家介入を可能にし、国家主義者や社会主義者の前進を可能にする要素なのです。

しかし、抽象的にならないように、実際の例をあげようと思います。まだロウソクが使われていた時代、エジソンがまだ登場していなかった時代を考えてみましょう。エジソンが小さな電球を持って登場した瞬間、ろうそくメーカーがすべて倒産するのは明らかです。当然のことながら、私たちが介入者たちに注意を払っていたら、今日、この美しい会議をこれだけの明かりの中で開催する代わりに、ろうそくを灯しながら開催していたでしょう。

こうして社会主義者は私たちの生活を台無しにするのです。私たちがパレート最適を捨て、技術の進歩とともに前進していることに感謝したいと思います。

ですから、まず理解しなければならないのは、市場とは何かをきちんと定義することが必要だということです。その意味で、市場とは社会的協力のプロセスであり、そこでは財産権が自発的に交換されます。実際、交換は自発的なものであるため、市場の失敗について話すことは不可能です。なぜなら、自虐的な行動をする人はいないからです。したがって、市場を適切に定義すれば、介入の定義はすべて崩れます。

その一方で、市場という考え方の土台となる制度について明確にしておくことも非常に重要です。非常に重要な2つの制度は、「私有財産」と「国家介入のない市場」です。なぜなら、基本的に、財産権を交換するつもりなら、それは私有財産が重要であることを意味するからです。そして、その交換が自発的なものならば、国家の侵入的で暴力的な存在が入り込む余地はありません。

この意味で、交換が行われ、誰かが貨幣と引き換えに財を与えると、価格という歴史的記録が作られます。そして、その価格という歴史的記録は、情報を伝達するメカニズムであり、ある人々を供給者とし、他の人々を需要者とするため、調整メカニズムにもなります。

そして、需要量と供給量は必ずしも一致しないので、需要が供給量を上回れば価格は上がり、その逆であれば価格は下がります。つまり、調整プロセスが存在します。

つまり、私有財産と自由市場が価格システムの機能を決定し、それが経済計算を可能にするのです。

そしてこれは、社会主義がどの側面においても機能し得ない理由を示しています。最も極端な場合には、私有財産が存在しないため、市場が要求する交換を行うことができないからです。

そして第二に、民間部門の存在を認める軽いバージョンの社会主義では、国家の干渉が価格システムにノイズを発生させ、国家が存在すればするほど、暴力が増え、歪みが増し、システムがより悪化します。

市場にとってもう一つの重要な制度は、いわゆる自由競争ですが、新古典派的な完全競争という意味ではありません。自由な参入と退出という意味での自由競争です。