■法廷のカリスマ

 1970年6月、チャールズとスーザン、パトリシア、レスリー、リンダの裁判が始まった。チャールズは「弁護士はいらない自己弁護をする」と主張。却下されたが、チャールズは裁判所でも洗脳劇を繰り広げる自信があったものと見られる。

 そんなチャールズは裁判所でもスターだった。表情豊かに笑ったり、変顔をしたり、にこにこしていたかと思ったら、弁護士にペンを振りかざしたし、裁判官に殴りかかるなどした。メディアのカメラに向かってはチャーミングに微笑むことも多かった。小さい男なのに、存在感は誰よりもあった。

チャールズ・マンソン完全解説! 史上最凶のカルト連続殺人鬼の“身の毛がよだつ生涯”とは?
(画像=法廷のチャールズ。画像は「Murderpedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

 全米が、うら若き乙女たちに残虐殺人を犯せさせた、カルトリーダーのチャールズに注目した。チャールズは一貫して、「俺は殺しなどしていない」「彼女たちは自分の意思で自分のやりたいことをしただけ」だと主張。3人の女性はそういう彼を微笑みながら眺めたり、目を見合わせてクスクス笑ったりした。洗脳の恐ろしさ、カルトの恐ろしさに世間は慄いた。

 スーザン、パトリシア、レスリーたちは、カラフルな服を着て手を繋いで歩いたり、チャールズが作詞作曲をした歌を歌った。裁判が始まり、チャールズはすぐ資金集めのために『LIE』というアルバムをリリース。アルバムは大きな話題になった。3人の女性たちは歌だけでなく、片手を上げるなどのパフォーマンスをしたりしたが、これは全てチャールズの指示によるものだった。チャールズが「自分は世間から排除された人間だから、その証に」として眉間にバッテンを描いた時も、3人の女性は全く同じことをした。

チャールズ・マンソン完全解説! 史上最凶のカルト連続殺人鬼の“身の毛がよだつ生涯”とは?
(画像=マンソンガールズ。右からスーザン・アトキンス、パトリシア・クレンウィンケル、レスリー・ヴァン・ホーテン。画像は「Murderpedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

全米が茶番のようなチャールズの裁判に関心を寄せ、とうとうニクソン大統領も「自分でやってないとしても有罪だ。8人を理由なく殺したんだ」と発言。メディアはこれをを大々的に報じ、チャールズは翌日の裁判で、にやにや笑いながら「マンソンは有罪だとニクソンが宣言した」と大きく書かれた新聞を陪審員に向かって掲げた。チャールズは審理無効になることを狙ったと見られるが、思い通りにはならず裁判は続行した。

 ロサンゼルス検察官は当初、「泥棒に入ったが、見つかってしまい、目撃者を全て殺した」という路線で進めようとしていた。しかし、州検察官のヴィンセント・グリオシは「ヘルター・スケルター」が鍵を握ると考えていた。チャールズは「ビートルズのヘルター・スケルターとは黒人が白人を皆殺しにするという人種戦争のこと」だと説き、ファミリーはこれを信じていた。それほどの洗脳力があるのなら、殺人を指示することはたやすい、自分の手は汚していないが、彼が主犯であり、殺人者なのだ、という路線で裁判を進めるべきだと主張した。

 実際、チャールズを慕うファミリーたちはチャールズの裁判が行われている裁判所の外の歩道に住みつき、「もうすぐこの世の終わりがくる!」「戦争が起こる!」「ヘルター・スケルターの時がくる!」と叫んでいた。離れていても、殺人しろと洗脳したカルトリーダーだと言われても、メンバーたちはチャールズを慕い、当局に反発するため全員が剃髪した。

 検察官は運転手を務めていたリンダが、殺人はせず、ファミリーが殺すところを目撃していたことから、殺人の内容を証言して欲しいと頼んだ。チャーリーがファミリーを洗脳し、チャーリーの命令でみんなが殺人を犯したのだと証言してくれれば、彼女を罪には問わないと約束したのだ。罪悪感に苦しめられていたリンダは検察官の司法取引に応じ、証言台に立った。カルトリーダーとしてのチャールズの姿を語り、殺人はチャーリーに指示された、などと証言する彼女に、チャールズは叫んだ。

「3つ嘘をついたな。4つ目の嘘に、お前は痛めつけられることになるぞ!」

 弁護士たちも必死だった。レスリーの弁護士ロナルド・ヒューは、レスリーを他の3人とは離して弁護する方が刑を軽くできると考えた。それまで、それぞれの弁護士は、4人全員の弁護をしている方向で動いていたのだが、チャールズとは切り離し「チャールズに洗脳され、命じられ罪を犯した」と主張した方がよいと考えたのだ。

 弁護士は全て自分の味方であるべきだと考えていたチャールズは、この動きに激怒する。裁判所で、ロナルドを指差し「お前のツラなど二度と見たくない」と言い放った。ロナルドはこの後、裁判の休憩期間を利用しキャンプに出かけ、行方不明になった。そして、半年後、腐乱遺体で発見された。腐敗が進んでいたため死因は特定できなかったが、世間は「事故ではなくマンソン・ファミリーが殺したのだろう」と推測した。

 1971年1月25日、チャールズ、スーザン、パトリシア、レスリーは第1級殺人で有罪判決を受けた。テックス・ワトソンの裁判は別に行われ、同じく第1級殺人で有罪となり死刑判決が下された。そして、3月29日、チャールズたちにも死刑判決が下された。

 スーザン、パトリシア、レスリーは、これまで「絶対に嘘をつかない神」だと信じていたチャールズが、裁判所で嘘をつきまくり、自分たちにも嘘をつくように指示することで少しずつ目が覚めていった。しかし、チャールズは違った。死刑判決を受けた直後、チャールズは検察官のヴィンセントにこう言った。

「お前さん、別に大したことしてないんだぜ。俺がやって来たところに送り返しただけなんだから」

 ヴィンセントは「いや、でも今回は(死刑囚の)緑の独房に戻るんだぞ」と言い返したが、翌年の1972年、カリフォルニア州で死刑制度が一時的に廃止されたため、チャールズたちの死刑は終身刑に減刑された。1978年に死刑は復活したが、チャールズたちの刑が死刑に戻ることはなかった。

チャールズ・マンソン完全解説! 史上最凶のカルト連続殺人鬼の“身の毛がよだつ生涯”とは?
(画像=画像は「CNN」より引用,『TOCANA』より 引用)