■孤立・先鋭化するファミリー

 ロックスターになる夢を断たれたチャールズ・マンソンはハリウッドのエリートたちに対して復讐を誓ったその後――。

 1968年の夏、レスリー・ヴァン・ホウテンという女性がマンソン・ファミリーに入信した。彼女も中流家庭出身。両親は2人の実子のほか2人の養子を育て、そんな両親に影響を受けた彼女は人助けをするのが好きな真っ直ぐな少女へと成長した。教師を夢見ていた頃もあったが、14歳の時に両親が離婚。父親が家を出て行ったことに心を痛め、LSDなどのドラッグに逃げるようになった。17歳の時に妊娠をしたが、母親により強制的に中絶。ヨガなどで心の安らぎを得るようになり、ヒッピー文化へとはまり、マンソン・ファミリーへとたどり着いたのだった。

 マンソン・ファミリーが暮らしていた場所は、ロサンゼルスの郊外にある、かつて西部劇の撮影所として使われていた「スパーン牧場」だったということもあり、そこでの暮らしはファミリーにとってこの上なく楽しいものだった。ファミリー全員でLSDによるトリップも繰り返し行った。

 チャールズはファミリーのメンバーの一人一人の口にLSDを入れ、自分は少しだけ、もしくは取らず、トリップするファミリーたちに「俺はイエス・キリストの生まれ変わりだ」「俺のために死ねるか?」など洗脳する言葉をかけた。LSDを使い、ファミリーたちのマインドを支配していったのだ。グループセックスもして、ますますファミリーの結束を固め、がんじがらめにさせた。

 チャールズはファミリーにとって絶対的存在になり、完全なる支配力を得た。そして、「生も死も一緒」「死はより良い世界への扉」だとも洗脳するようになっていった。