初めてのJ1昇格と降格

神山と鈴木、2人が初めてJ1昇格を味わったのは2010シーズン。福岡は篠田善之監督のもとで若手とベテランが融合し、夏場にはFW城後寿が左膝前十字靱帯損傷の大怪我から復帰して得点を重ねた。ジェフユナイテッド市原・千葉や東京ヴェルディなどを抑え、3位でJ1への切符を掴み取ることに成功したシーズンだった。

神山「チームとして仲が良かったです。それに久藤(清一)さんとか大久保ジャンボ(大久保哲哉)とか田中マコ(田中誠)さんのようなベテランが上手くマッチしていた。だから雰囲気も良かったし、勝ち切る力がありました。城後は大怪我から帰ってきて、チームの流れに乗って点を重ねてくれました。努力の賜物ですし、普段のサッカーに対しての情熱や謙虚な姿勢が出たのかなと思いますね」

J1で迎えた翌2011シーズンは、東日本大震災の発生によって第1節終了後に中断となった異例の年。第7節から再スタートになると、福岡は開幕から合わせて9連敗。神山は17試合、鈴木は30試合に出場し試合には絡んだものの、チームは18チーム中17位でJ2降格となった。

神山「記憶から抹消しています(笑)というぐらい、自分は不甲斐なかった1年でした。個人としてJ1で全く結果を出せず、チームの残留もできなかった。ことごとくシュートを決められたので、このままじゃダメだ、自分はまだまだ甘ちゃんだと思い知らされた1年でした」

一方、鈴木の感想はやや異なる。

鈴木「僕は逆に、2010年は自分としては納得いかないシーズンだったんですけど、2011年はマチ君(中町公祐)が怪我していたので結構試合に出られた。なので試合に出られてラッキーというか嬉しいというか。前年苦しみ、カテゴリーも上がってそんなに出られると思っていなかったので、ぶっちぎりで降格した悔しさはあるんですけど、たくさん試合に出られて楽しかった記憶も正直あります。代表クラスの選手と対峙したり、J1のビッグクラブとも試合できたりすることを楽しんでいました」

そんな中、2人に共通するつらい思い出がある。

鈴木「マコさん(田中誠)が2011年限りで引退したんですけど、最後の試合がセレッソ(大阪)とのアウェイゲームで1-7。負けて、マコさん泣いていたんです。本当に申し訳なかった」

神山「本当につらかった。俺、マコさんに謝ったもん。『すみません、こんな試合で』って。そしたら、マコさんは『仕方ないよ』って。あれは申し訳なかった」

鈴木「あれは消したい記憶でも、消せないものがあります」

マリヤン・プシュニク氏 写真:Getty Images