目次
3. 「南極観測船ふじ」に乗船!
4. 船室を渡り歩いて乗組員気分!

3. 「南極観測船ふじ」に乗船!

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

タラップの先にある乗船口でチケットを見せると「南極観測船ふじ乗船証明書」と書かれたカードをもらえます。1985年8月16日から一般公開されているふじへ乗船したのは、私で8905079番目のようです。

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

入口の横にふじについて紹介するビデオやパネルのプロローグ展示があります。予習を兼ねて見ていると、背後から「お待たせしました!」と男性の声が。

声の主は、南極観測船ふじの学芸員、山口真一さん。実は山口さんご自身も、昨年の第64次南極地域観測隊(夏隊)の一員として、令和4年11月11日から令和5年3月22日まで、広報担当の任務に就いていたそうです。今回特別に船内ガイドを務めてくれました。

それでは、乗組員たちが長期にわたり生活をともにしていた船内を見ていきましょう! 山口さんの過酷な思い出を挟みながらガイドしていただいた様子をお伝えします。

4. 船室を渡り歩いて乗組員気分!

「ふじ」の船内は、地下1階から3階に分かれていて、パネル展示とマネキンによって当時の様子を再現しています。 

激しい揺れにも負けず、憩いの場として愛された「食堂」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

まずは、船内の1階から。ふじの乗船入口に直結している「食堂」には、当時、一度におよそ100名が座って食事をすることができたそうです。現在は、博物館仕様にリノベーションされているので、残っている机は6脚のみ。「先ほど入っていただいた入口のほうまで、机がずらりと並んでいたそうです」と山口さん。

この食堂の机で注目したい点は、船体の激しい揺れに対応する工夫の数々。机の脚はがっちりと床に固定され、机の縁には食器が滑って床に落ちないようにストッパーが付いています。あまりに激しく揺れるので、鍋ややかんは天井からひもや鎖で吊るしていたのだとか。

激しい揺れが起こる原因は、南緯40度~60度付近の暴風圏。南極に船で向かう際は必ず通らなければなりません。海上で発生した低気圧がダイレクトに当たって相当の威力があるのと同時に、砕氷船は船体で氷を砕きやすいように揺れやすく造られているので、言葉では表せないほど揺れるのだとか。

山口さんもその揺れを経験したそうで「波高が8mにも及ぶことがよくあります。垂直方向のアップダウンに加え横揺れも伴い、それが繰り返されるので、1週間以上延々と遊園地のフリーフォールとジェットコースターを同時に体験するような感覚でした。ひどい船酔いに悩まされました。あの時のことは最近も夢で見ました」と話してくれました。

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

長い船旅の間、この広い食堂が乗組員にとっての憩いの場となっていたそうです。そして、「テアトルふじ」という名の映画上映や乗組員が南極について学ぶ「ふじ大学」といった文化が生まれました。ふじ大学は、所定の単位を修了すると卒業証書が授与されました。でも、証書をよく見ると、そこにはユーモアたっぷりで、思わずにやりと笑ってしまう文面が。学びもエスプリを効かせて楽しむ娯楽のひとつだったのかもしれませんね。

※卒業証書は2階の南極の博物館に展示されています。

総勢240人分の食事を作っていた「調理室」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

食堂の奥には船内の大勢の人の食事を作る「調理室」があります。マネキンを使って当時の様子を再現しているので、そのリアルな姿にびっくりする人も多いのでは? ふじには、船の運航を任されている海上自衛隊の乗組員が約200名、そして南極の調査を行う文部省(当時)・気象庁などの職員や大学研究者で構成された観測隊員が約40名、乗船していました。

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

食事に使われる食材は、乾燥や冷凍で保存が効くようにしたものばかり。しかし時には水分の多い生野菜も食べたいという思いから、調理室には「もやしの栽培機」もあったそうです。

また、「おいしい家庭料理が食べたい」という隊員の思いに応えるべく、フリーズドライの研究が進んだという話もよく知られています。現在は、昭和基地でレタスやキュウリなどが水耕栽培できるようになり、極限の地でも新鮮な野菜を食べることができるそうです。

調理室横の長い通路を抜けて階段を下りると地下1階に。ここには実際の生活ぶりがよく分かる船室が並んでいます。

手術にも対応!240名の健康をあずかる「医務室」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

船酔い、航海中や観測活動でのケガ、内科手術に至るまで、乗船する隊員の健康を預かっていたのが「医務室」でした。海上自衛隊の医官と歯科医官の専門医が従事し、衛生にかかわる教育、健康診断、診療などを任されていたのだそうです。

医務室の奥には病室もあり、盲腸の手術をしたという記録も。もしも、暴風圏に入るタイミングと手術が重なってしまったら、一体どうするのでしょう? 横たわる乗組員とその腹部を診察する医師のマネキンを見ながら、そんな心配をしてしまいました。

タダなら虎刈りもやむなし?な「理髪室」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

ふじの中には、無料でヘアカットできる予約制の「理髪室」がありました。しかし、プロフェッショナルな理髪師ではなく、"腕に覚えのある"乗組員が担当していたそうです。南極観測船の中では、少ない人数で何でもこなさなければならないことがよく分かります。

日本から出港する前に、特別に理髪のトレーニングを受けたそうですが、それでも経験の浅い理髪師ですから、しばしば虎刈りにされてしまった人もいたとのこと。いつからか、理髪室のことを「タイガーショップ」や「タイガーバーバー」と呼ぶようになったのだそうです。皮肉が効いたネーミングですが、これもまたユーモアで厳しい南極生活を乗り切る知恵だったのでしょうか。

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

ちなみにこの理髪室、平成29年8月には全国理容連合会から「理容遺産」として認定されています。「タイガーショップ」は、国家的な貢献度や歴史的な価値が認められた、すごい理髪室なのです。

昭和なタイプライターに懐かしさ感じる「庶務室」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

船の操縦や生活に必要な仕事だけでなく、乗組員はそれぞれに専門分野の仕事を分担していたそうです。ここ「庶務室」では、通文書を作ったり、保管したりという庶務に関わる仕事をしていました。ガラス窓越しに中をみると、昭和時代に活躍したタイプライターや手回し式の計算機を見ることができます。乗組員のマネキンの手元から、ガシャン!ガシャン!と文字を打ち込む音が聞こえてきそうです。

厳しいパイセンが居並んでいそうな「先任海曹寝室」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

「いわゆる鬼軍曹の部屋ですね」と山口さんが笑いながら案内してくれたのは、ベテラン乗組員で「先任海曹」と呼ばれる約10人が生活していた「先任海曹寝室」。内部には、3段ベッドが5つ、机2つ、棚、ロッカー、テーブルがあり、奥には専用のトイレ、浴室がそろっています。マネキンの先任海曹が楽しんでいるのは、「キャロム」というボードゲーム。玉を指ではじいてボードの角に開いた穴へ落とすビリヤードのようなゲームで、当時、ふじの船内や昭和基地で流行したのだそう。

また、手前のテーブルには、タバコとガラス製の灰皿が。喫煙に大らかだった時代を感じさせますね。

乗組員100名が寝起きした、超大部屋な「第二居住区」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

乗組員サイドの幹部と先任海曹には、およそ数人~10名ごとに船室が用意されていましたが、そのほかの一般乗組員はここ「第二居住区」で生活していました。

約150平方メートルのスペースに、総勢およそ100人が過ごしていた大部屋です。「室」ではなく「区」と名付けられていることからも、このスペースに乗組員たちがひしめいていたのだろうと想像できます。同じように60人分の第一居住区が、船首のほうにもあったそうです。

ベッドは、鉄のフレームに丈夫な布を紐で結んだだけの簡易を極めた造りをしています。横幅が小さめなのは、寝転がると自分の体重で布が引っ張られて枠に体がフィットするように設計されているから。暴風圏を通過するときは非常に揺れるため、落下防止のベルトも備わっています。

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

展示されていた航海日課には、平日・土曜日・休養日に分けられた1日のスケジュールが記されています。起床から消灯まできっちり決められている中で過ごしていたことが分かります。海上自衛隊には、予定の定刻5分前には準備を終えておく「5分前精神」というルールがあるそうです。

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

第二居住区のベッドには、当時の隊員が「"人生"楽あれば苦も又、多し 田中早苗」と書き置きをした文字がそのまま残っています。また、流行していた歌手の名前を書いたと思われるベッドもあり、ここで過ごしていた隊員の何気ない普段の様子が垣間見えた気がしました。

快適そうでも油断大敵な「第12観測隊員寝室」

南極へのロマンかきたてる「南極観測船ふじ」(名古屋)に乗船してみた
(画像=『たびこふれ』より引用)

乗組員は大規模な共同生活を送る一方、観測隊員には2人部屋と4人部屋がありました。

テーブル上のタバコの包装や上に飾られている人形、ベッドの片隅に置かれた洗濯用洗剤に時代を感じます。彼らの部屋にはベッド、机、ソファー、洗面台が付き、バス、トイレは共有だったようです。ベッドはしっかりとした造りでマットも敷かれていますし、士官室と同レベルの快適さが保たれていたように見受けられます。

ただ、ひとつ違うのは、観測隊員の部屋で倉庫に入りきらない観測機器をそれぞれが保管していた点。精密な機械は数百万円という高額なものもあったそうで、暴風圏を通過するときや氷を砕いて進むチャージングの際には、観測隊員は機器が壊れないように神経をすり減らしていたようです。

南極への航海は、その厳しい環境下での観測業務もさることながら、それぞれの仕事を遂行するために、お互いを尊重しつつ、長期にわたる共同生活をいかに快適に過ごせるかが重要だったのかもしれません。