不祥事の継譜
第1楽章では、不祥事はあっても社会の表面に現れず、たとえ現われても認識されなかった。『資本論』の機械と大工業の章が描く婦人・児童労働は、いまで言えば“ブラッグ”そのものであるが、当時は不祥事ではなかった。
第2楽章では社会主義への対抗上、資本の行動は自制され暴走は比較的少なかった。第2楽章の終わりから第3楽章にかけて“主流”となるのは政治家がらみの不祥事である。日本の例でいえば、造船疑獄、ロッキード事件、リクルート事件などだ。当時の時点でも、保守党政権は安定した長期政権であったから、後に示す森田の分析を延用すれば、政治がらみで不祥事は生じ易かったのだろう。
経済・ビジネス界からみても、政治を利用することで将来の利益が見込めるなら、それに向って“努力”するのが使命となり、その使命は倫理を超えることがしばしばあった。
証券業界20世紀終る頃まで(第3楽章の後半)不祥事の目立ったのは証券業界であった。その基底を探れば、この業界の利潤創出方法がある意味で単純明快だったからだ。
ブローカーとしての収入は株式の売買で生じる手数料であり、その多寡は客である投資家の売買量だ。それは儲かる度合いが高ければ増大する。証券会社は、自らが投資家となる自己売買でも相当な利益をあげていた。
ある株式を安く買って、一定期間後に高く売る。あるいはこの逆をやる。先に高く売って、後に安く買い戻す。このあまりに単純な構図の上での必勝法は、精度の高い情報を他よりも先に得ることだ。通称言われるインサイダー取引は、この行きついたところにある。もちろん、皆でこれをやれば、共同池に皆で汚物を流すように池・市場は死んでしまうから、当然、自己規制の装置も起動するし、証券取引等監視委員会のモニタリングが毎日、目を光らせることになる。
1970年代までは、インサイダー取引にならない、確度の高い方法があった。それは公開株式の取得である。日本資本主義は高度成長を経て成長を続けるが、株式市場はこれについていけなかった。株式公開は極めて少なく、供給<需要であったから、公開株式を取得して公開日以降に売却すれば、かなりの確率で利益が得られた。
リクルート事件はこの手を使った典型的なケースである。有力な政治家、NTTの幹部など散布先は広範であった。配った側は、お世話になった人々とのおつきあいを主張したが、裁判所はこれを認めず、多くの人々が有罪となった。
1981年には証券業界で“損失補填事件”があった。当時、10億円を最低とする大口預金が1,000万円に引き下げられることになった。証券業界は焦った。株を買い向かうべく待機していした資金(主に法人と富裕な個人の資金)が大量に銀行に移動する可能性があった。当時の大口定期預金にはそれなりに魅力的な金利がついていた。移動を阻止するため、株を購入する顧客と証券会社との間で“密約”が結ばれた。それが損失補填であった。
金融界のもう一人の雄である銀行(大銀行)が不祥事という舞台に登場するのは1989年のある事件である。
当時の銀行界の最大の問題は“不良債権”問題だった。どこの銀行も巨大な不良債権(業界全体で推定40兆円)を抱えていたから、恐いのは旧大蔵省の銀行検査だった。
各行はMOF担(モフタン)と呼ばれるエリート達を大蔵省銀行局に送り込み、検査が無事に済むよう工作に励んだ。この時の事件が○○○○しゃぶしゃぶと呼ばれている珍奇な出来事だ。事は深刻な展開となり自殺者が3人もでた。このとき旧大蔵省にもっとも協力したのが旧三和銀行(UFJを経て三菱UFJ)だったと言われている。
しかし、この時の“貸し”を利用しようとしたUFJの目論見は裏目に出て、銀行は消滅に追い込まれる。旧三和銀行は関西系だけあって、霞が関には日頃から反抗的だったことが仇となる。UFJ事件は、以後の金融庁の強大化、つまり国家の膨張の契機となった。
地方銀行地方銀行が不祥事の舞台に登場するのはずっと後(リーマン・ショックの後)になる。それは地方銀行の業績が悪化したことと大いに関係がある。悪化の基本原因は地方経済の悪化である。それによって地方での貸し出しが減っていく。しかし預金は自動的に集るから、資金をどう使うかで各行は頭を悩ますことになる。
国債を買ってじっとしている戦術もあるにはあったが、いくつかの銀行が新しい分野を探しにいく。新しいといっても、不動産金融の変型であったが、そのひとつの例がスルガ銀行を有名にした「かぼちゃの馬車」事件であった注4)。
このあたりの事情は既に多く書かれているから、ここでは省略する。2018年の地方銀行の不祥事が金融庁の調べで30件もあった。シリーズ④に書いたように現在でも地方銀行の苦境は続いている。このことは、未来社会・The Next を考える上で考慮すべきひとつの要素でもある。
非金融業・特に製造業の不祥事第4楽章のひとつの特徴は、不祥事の主役が製造業に移ったことである。なぜ、ここに注目するのか、それを述べておこう。
証券業、つまり有価証券の売買の世界で不祥事が生じ易いのは、そこでの資本の運動が中抜きになっている、つまり記号で示せばG-G’だからだ。
マックス・ウェーバーが示した資本主義の倫理が作用するのは、この中抜きされたところにある。貨幣を手に持った経営者・資本家は、それで原材料を吟味して購入する。労働者を雇用する際も誰でもいいというようなことは、余程の単純労働でなければない。彼らとのコミュニケーションも、仕事の分担の確認も理性を働かせて実行する。工場での工程管理も経営者の仕事である。そして最後に最大の難関がある。それは販売だ。
これらの一連の仕事は、ある目標に向って組み立てられ、日々、怠けることなく実行されねばならない。そこに、ウェーバーの倫理が生まれ、作用する。カルバンの予定説でいえば、自分達が選ばれていることを確信するための行為がある注5)。
着地点で求めるのは利潤であるが、そこに向う過程は神との約束の履行であり倫理に基づいている。だから、G-G’の中間に、堕落・不祥事は生じにくいのである。モノづくりをきちんとする。これは中世のギルドから受け継がれた精神であり、日本風にいえば職人気質だ。逆に言うと、このような創造的部分を利潤欲望のカプセルに封じ込める、それに成功したから資本主義は成功したのである。いわば、製造業は資本主義の聖なる部分である。第4楽章ではそれが犯されていく。
偽装製造業において数々の粉飾決算・偽装事件が生じた。ここでは稲葉洋三の『企業不祥事はなぜ起きるのか-ソーシャル・キャピタルから読み解く組織風土』(中公新書、2017年)を参考にしていこう。
SUVの先駆、パジェロで躍進した三菱自動車が変調をきたすのは1990年代の後半であった。2000年7月、リコール隠しが発覚する。ユーザーが安心して乗れるクルマを製造する。これは、自動車会社にみるべき企業倫理の第1号だ。それが守られなかった。2004年3月にはトラック・バス部門で同じことが起こる。走行中のトラックからタイヤがはずれ、これにあたって通りすがりの母子三人が死傷した。
東芝「三菱ふそうは整備不良と主張する一方で、社内では設計ミスによるものと認識し十二万四〇〇〇台のヤミ改修を実施していた。・・・二〇〇五年九月二六日までに対象台数二四六万台に上る大規模なリコール隠しであったことが判明した」(稲葉、同上書、p.123~124)。
東芝は日本を代表する製造業である。不祥事の内容は“粉飾決算”だ。粉飾決算は製品のインチキとは違う。しかし、投資家が会社の状況を見ようとすれば、まず目を通すのが会社の作った財務諸表である。それらは、紙製の、いわば投資家向けの製品である。だから粉飾は偽装の一種であり、それをすることは株式制度への裏切りであり、ウェーバーの精神の対極である。
それが発覚したのは2015年だが、粉飾がはじまったのはそれより7年前というから、ちょうどリーマン・ショックの年になる。
「二〇〇八年度から二〇一四年第三四半期までの八年間で税引き前利益を一五一八億円かさ上げしていたとされ、さらに四九日後の九月七日には税引き前利益の水増しは二二四八億円に膨らみ・・・また投資家をはじめとする利害関係人へ誤った情報を開示することが粉飾決算だとする社会通念からみれば、紛れもない戦後最大級の粉飾決算である」(稲葉、同上書、p.129~130)
稲葉は、当時の「東芝には顧問と相談役が17人もいた」という小笠原啓注6)の一文を引用している。
東芝の場合、モノづくりで失敗したというのではない。敢えて失敗といえばウエスチングハウスと組んで原発の製造にかかわっていたことだろう。しかし、粉飾決算というウソをついたのだ。製造業の誇りは失われた。紆余曲折の末、2023年、東芝の非上場化が決まった。経団連の会長を輩出した名門は株式市場から退出する。