秦氏と「日ユ同祖論」

広瀬:ユダヤ人たちが海を渡ってきたというのは実際にあったことだと個人的には思っています。『日本書紀』には、応神天皇14年に、弓月君(ゆづきのきみ)が朝鮮半島から多数の民を率いて渡来したのが秦氏の祖であるといわれています。弓月王国は、紀元前8世紀にイスラエル王国からアッシリアに連れ去られた10支族のうち、ガド族、ルベン族、マナセ族などが建てた国であるといわれているんです。

――秦氏の族長・秦河勝は聖徳太子のブレーンだったといわれています。日本の礎を作った聖徳太子の頭脳が秦氏だったことも興味深いです。

広瀬:日本にユダヤ人が渡った後に、女帝・推古天皇と摂政・聖徳太子の大和朝廷が形成され、日本は統一されたという考え方もあります。そういえば、『ムー』の三上丈晴編集長は、秦氏を熱心に研究しているハタニストとして有名ですね。

――私がお会いした時、自分のことを「ユダヤ人だ」とおっしゃっていました(笑)。

日本で復権したイスラエル王朝?

――古代、日本に渡ってきたユダヤ人らによって日本国家が形成されたのかもしれませんね。

広瀬:日本にはかつて約1万年も続いた縄文時代があり、のんびりと暮らしていたのです。そこに、いろいろな文化をもたらしたのが大陸から渡ってきた人たちだったのです。海外では、王朝が倒されて新たな王朝ができると、それまで支配していた王や家族、親戚、家臣は皆殺しになる。だから当時は、「日本に逃げれば安心」という伝説があったのではないかと思っています。つまり、新たな権力者から追われた人々が最後の安住の地を求めた先が日本だったのかもしれません。

――縄文時代は上下意識がなく権力支配もなく、争いもなかったので非常に平和だったとされています。けれど、海外から好戦的な人たちが渡ってきて、縄文時代が破壊されてしまい、支配者による搾取のピラミッド社会が出来上がってしまったのではないかと思います。

広瀬:海外からどんどんいろいろな人が渡ってきて、当時の縄文人に技術を教えたりしているうちに、王朝が出来上がっていったんでしょうね。出雲大社と伊勢神宮の神社は人種が違うといわれています。古代の出雲地方に存在したという出雲族の出雲神社。そして、渡来人の伊勢神宮という話があるのです。しかし、出雲族が渡来人によって滅ぼされてしまったことで伊勢神宮が日本の神社の頂点になったといわれています。伊勢神宮の周辺には、ユダヤのシンボル「ダビデの星」である「六芒星」がいくつも見られますよね。

――日本の神社の頂点である伊勢神宮がユダヤと関連があるというのは興味深い話です。