結果として、そのいわば”ネオリベ&ポリコレ全盛期”のムーブメントに全力で乗っかってしまった国では、国の中の分断が激しくなって民主主義社会は分極化しまくり、中国みたいな国では国家の超絶的な強権で埋め合わせないと国が成立しないところまで来てしまった。

要するに、「欧米の意識高い系の論理」は「最終的に目指すゴール」としてはいいけど、それだけを全面化して古い社会を徹底的にディスりまくるみたいなのは、

実際あんたら現実の人類社会をマネージできてないじゃん!第三次世界大戦寸前になってんじゃん!

…という現実問題にぶつかり、むしろその「欧米的な意識高い系の理想」が世界の半分の社会の中で完全に拒否されかねないところまで来ている。

私の本の中の図でいえば、ありとあらゆる「概念先行の意識高い系の原理主義化」を、日本社会がそのリアルな保守性で受け止めきってから…

その先で、「欧米的理想」と「非欧米的ローカル社会側の人心のアヤ」を、決して1ミリグラムもどちらが「上とか下」とかいうジャッジをしない形で溶け合わせていく使命が我々日本人にはあるわけです。

逆に言えば、「ネオリベ(経済面)」における改革でも、「ポリコレ(政治面)における改革」でも、

過去20年の日本の保守性に見えていたものの中に潜んでいる、”人類社会レベルの本質的な意味”を掘り起こし、新しい時代の基礎として再度位置づける

こういう形↑のムーブメントを日本発でグローバルに展開していくことによってのみ、過去20年の「保守的な日本」が持っていた閉鎖性の副作用(排外主義的な風潮とか、女性活躍云々とか)の解決について、欧米でのように「社会の上澄み特権階級限定で」ではなく、社会の隅々まで安定して押し広げていくことも可能になるでしょう。

まあ、まだまだ色々とギクシャクする問題は発生すると思いますが、徐々に「グローバルvsローカル」という対立自体を無効にする流れを、日本発に起こしていけるかが重要ですね。

「日本社会のローカル側の価値の根本」を「グローバルなムーブメントの延長線上」に位置づけて、そこに新しい「新vs旧」「東vs西」「欧米vs非欧米」みたいなあらゆる人類社会の分断を超えるようなゴールを設定していく事が今後の日本の課題です。

そうすれば、今まで動きが鈍かった経済面においても、

・「自分たちのコアの価値を崩壊させずに守りながら世界の潮流に無理なく乗って売り込んでいける」

…ようにできるし、またいわゆる”社会正義”的な面においても、

・「色々な社会問題を”先鋭化した政治主張が自己目的化した活動家のオモチャ”にさせずに、粛々と”困っている当事者”のために不利益にならない具体的な細部の利害調整を実行できる」

…ような転換が起こしていけるでしょう。

こういう「メタ正義的」なムーブメントが安定して作動すればするようになるほど、日本社会がその短所として持ちがちな「排外的」だったり「同調圧力が強すぎる」的な問題も発展的に解消されていく未来が見えてくる。

あらゆる面で真っ二つに分断されゆく人類社会では、「そういう存在↑」がいてくれないと第三次世界大戦も不可避ってぐらいなので、日本がそれを実現できさえすれば、そういう存在が経済的に繁栄しないなどという事はありえないレベルになりますよ。

あらゆる20世紀的な紋切り型の対立を超えたところの本当のゴールに向かっていく使命が我々日本人にはあるわけです。

頑張っていきましょう。

とりあえず、以下の本なんかを参考にしていただければと思います。

『日本人のための議論と対話の教科書』

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

いくつか関連記事としては、最近の日本漫画の海外売上が「爆増」レベルに増加している件について数字で確認しながらその現象が持つ意味について考察した以下の記事↓や、

「韓流のように世界に売り込む」が日本コンテンツの場合なぜできないのか?逆に日本のコンテンツがその美点を失わずに世界で売るのに必要な戦略は何か?について考察した以下の記事↓

…などもお読みいただければと思います。

さて、ここ以後は、最近の「ポリコレ問題」の大きな話題だった、「黒人が演じる人魚姫」=リトルマーメイド実写版の話をしたいと思います。

こないだのマリオの記事

と「対」になる記事を書こうかな…と思って公開初日に半分仕事のつもりで観に行ったんですけど、個人的には結構好感しました。

興行成績についても、マリオほどの超絶大ヒットとは言えないが、実写版ディズニー映画としてはまあまあの好成績(アラジンより上)ぐらいにはなっているらしい。

ただ、SNSでの論争を離れてこの映画見てて思ったのは、なんか「案外保守的な映画なんだな」ということなんですよね。

主人公を黒人が演じた以外の部分は、むしろ古典的なディズニープリンセス映画に戻ったところがあるというか、過去10年のディズニー映画・・・例えば「アナ雪」なんかに比べたらよほど保守的なストーリーになってるなと思いました。

要するに、「自己目的化した政治的先鋭化の時代」は、この「ポリコレムーブメントの化身」のように思われている「黒人が演じるリトルマーメイド」の中でも既に「終わり」に近づいてる兆候があるというか、既に「広げた風呂敷をたたみにかかってる」要素があるんだなと思ったんですね。

そのあたり、ディズニーの過去映画、例えば「アナ雪」なんかとどう違っていて、この「ポリコレ側の流行」も「風呂敷をたたみにかかってる」流れがあるのだ・・・というような話を以下ではします。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。

編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2023年6月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。