日本のオーパーツ

 名だたる世界各国のオーパーツに勝るとも劣らない不思議なオーパーツは日本にも存在する。はたしてこれらは一体なんなのか?

・聖徳太子の地球儀

 兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わるソフトボール大の地球儀は「聖徳太子の地球儀」と呼ばれている。606年に聖徳太子によって建立されたといわれる斑鳩寺は、もちろん聖徳太子に所縁の深い寺院だ。ここには聖徳太子に関係する宝物が所蔵されている。江戸時代には放物類の目録『常什物帳』が作成されたが、その中に「地中石」という記載がある。それがこの地球儀だとされているが、これには南北アメリカ大陸、ユーラシア大陸、南極大陸のみならず、ムー大陸らしきものまで表面に描かれているのだ。南極大陸が発見されたのは19世紀であることを考えると、7世紀にこの地球儀が存在したならばおかしなことになる。まさに時代錯誤的な工芸品、オーパーツだと言えるだろう。ただし、江戸時代に作られたものだという説もある。

・沖縄県与那国島の海底遺跡

 1986年に八重山諸島の与那国島沖の海底で発見された海底地形は、通称「沖縄県与那国島の海底遺跡」と呼ばれている。琉球大学名誉教授の木村政昭氏は、道路、石組み、敷石、排水溝などと推定される地形、巨石の組み合わせが存在することや、楔を打ち込んだような等間隔の跡があること、左右対称であることなどを理由に自然の侵食ではなく、人工的に作られた構造物だと主張している。すると、ここにはかつて古代文明が存在し、海底に沈んだということになる。学術的には人工説は否定的に考えられているが、そのことに納得しない人が多いのも事実である。

・青森県戸来村のキリスト墓

 ゴルゴダの丘で磔刑になったとされるイエス・キリスト。その墓はエルサレムの「聖墳墓教会」だとされているが、実は世界各地にキリストの墓と称されるものがある。実はイスラームの聖典である『クルアーン』には、十字架にかけられたのは身代わりの人間であり、イーサー(イエス)は生き延びたと記されているのだ。そうであれば、キリストはエルサレムとは全く関係のない、かの地で没したと考えることも不可能ではない。

 生き延びたキリストがたどり着いた先とされる場所の1つが日本である。青森県新郷村にキリストの墓が“発見”されたのは昭和10年のこと。皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる「竹内文書」の記述から、竹内氏本人が見つけだしたといわれている。

 考古学的にはキリストの墓であることは認められていないが、新郷村にはいくつか奇妙な点があることもたしかだ。戸来(へらい)はヘブライ語を意味し、また、ダビデの星の家紋を持つ家系がいくつもあること、子供を初めて戸外に出す際に額に墨で十字架を描くなど、ユダヤ・キリスト教の関与を連想させる習わしが存在するのだ。

・勾玉

 先史・古代日本の装身具の1つである勾玉。祭祀に用いられたという説が濃厚だが、いまも詳細な使用方法はわかっていない。多くはCの字、コの字型をしており、丸い穴が1つ開いている。翡翠、瑪瑙、水晶、滑石、琥珀、鼈甲で作られたものが大半を占めている。日本人なら多くの人が一度は見たことがあるであろう勾玉だが、秘められた謎は多く、先述した用途もそうだが、より謎なのは、どのようにして勾玉に穴を開けたのかという点である。特に翡翠は「モース硬度7」という鋼鉄やガラスに傷をつけるほど非常に硬度が高く、ダイヤモンドカッターをしても削ることが難しいと言われている。さまざまな木製の錐のようなものと研磨剤で時間をかけて穴を開けたとも言われているが、ヒスイほどの硬さになると大変な労力だ。本当に可能だったのだろうか?