故・坂本龍一氏も、「単に無理やりなんでも反対だという事ではなく、色々な事情があるのはわかっているが、それでも一つずつ解決して何か別の方法が考えられるのではないか?という話がしたいのです」…というような趣旨の話をされていたはずです。

まさにそういう精神で、今この問題の「どこ」がすれ違っているのか、について整理する記事を書きます。

この話題を深堀りしながら、昨今の日本の政治的分断化を乗り越えて、「お互いにとって良い着地点」を見出していくための議論の方法について提案する記事になっています。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

追記なんですが、今物凄くこの記事がバズって色んなご意見が飛んできていて、その中にはかなり真剣にこの問題に取り組んでこられたグループの方からの細部の事実関係のご批判も少なからずありました。丁寧なご指摘ありがとうございます。

「反対派は内苑と間違えたりしない!」というお怒りのコメントも結構ありましたが、それについては今この記事がバズってる中で「俺も内苑の森だと思っていた」というコメントが大量に寄せられている事をみれば、「いやいやそういう人いっぱいいるんですよ」という話ではあります。

そういう「なんとなく反対」の人向けの記事だったのですが、一方で、時間をかけてこの問題を掘り下げてこられた方からすると細部の事実関係に異議のある記事だったことをお詫びします。

ご指摘をいただいた点については既にこの記事に反映しました。

また、追記するだけでなくまとまった追加の考察が必要になった部分と、私の側のメッセージとして変わらず伝えたいメッセージについては”後編記事”を別に書きましたのでそちらをお読みいただければと思います。

1. 再開発されるのはあの『内苑の森』ではない

まず、ちょっとバカバカしいほど基本的な事柄が誤解されている印象があるので確認したいのですが、

再開発されるのはあの『内苑の森』ではありません。

…え?そうなの?ってなってから、私のこの計画に反対する怒りのボルテージは正直100分の1ぐらいになりました。

反対派の作ってるネット記事やウェブサイトには、時々あの『内苑の森』が映った空中写真とかが使われている時があって、意図的に誤認させようとしている人が結構いるのではないかと疑っています。

あと、例えば「先人たちが守り育ててきた”神宮の森”を守れ」というようなキャッチフレーズも、明らかにあの『内苑の森』を連想させるようミスリードしているとしか思えないところがある。

ご存知『内苑の森』は、明治・大正期日本が持つ深謀遠慮の塊のような記念碑的自然で、原宿駅や代々木駅などから明治神宮本殿まで歩いた事がある人は、都会の真ん中にこんな鬱蒼とした神秘の森があることに畏敬の念を抱いた事があるはずです。

明治神宮が作ってる動画↓でもその背後にある人々の思いが伝わってきます。

特に動画の3分ごろからを見てほしいのですが、当時一流の林学者が集まって全国の神社林を調査し、政治家がパッとした思いつきで「伊勢みたいな針葉樹林がいい」という意見を撤回させ、東京の気候を分析した上で50年後、100年後を見越して成長し入れ替わっていくような植生を選びぬいて作られています。

で、私は最初、

「あの内苑の森の木を切って、変なショッピングモールみたいなのを作る計画」

…なんだと思って、脳みそ狂ってるのか!ってぐらい激怒してたんですけど、そうじゃないんですね。

バカバカしいぐらい基礎的なことですけど、SNSでこの問題について紛糾しているのを見ている人のうちかなりの部分は「この時点で既に誤解」している人が結構いると思います。(その証拠にこの記事がバズってから”私もそこを誤解して反対していた”という感想は既に大量にいただいています)

私はむしろ、今回の計画はあの広大な内苑の森の維持費が明治神宮にのしかかっている事情を解決する策でもある…と知ってからは、「まあ妥当な案なのでは?」という気持ちになりました。