アメリカ連邦政府国防総省の出入り業者を受注高順でトップ10社まで数え上げると、みごとに軍需と医療・健康関連の企業ばかりが並んでいます。
大口需要家との相対取引に慣れていることが何を意味するかというと、1946年に「ロビイング規制法」という名の贈収賄奨励法が成立した時点で、この法律をうまく活用すればどんなにおいしい商売ができるか熟知していたということです。
もうひとつ、軍需産業と医薬品産業の共通点があります。それは「命に関わることなのだから、我々専門家の言うとおりにしなさい」という脅しが通用しやすい分野で仕事をしているという事実です。
第二次世界大戦中から続いた規制物質の「薬品化」第二次世界大戦中は枢軸国側だけではなく、連合国側でも長時間労働をさせても事故や生産遅延を起こさないように、現在ならきびしく規制される化学物質を「眠け覚まし」や「士気高揚」のために市販薬として売ることを許可していました。
第二次大戦後の経済復興期にも、こうした危険な薬物は特例として市販薬としての流通が許可されていたのですが、だいたいにおいて1950年代半ば頃までにはきびしい規制のもとで管理されるようになりました。
ところが、ここに顕著な例外があって、それはアメリカでは大企業にうま味のある「非常時体制」を平時に持ち越すことを許すロビイングによる法律・制度の改変でした。
代表的な2例を、1950年代初期の医師向けのポスターからご紹介しましょう。
抗うつ剤としてのリタリンも、痩せ薬としてのアペトロールもそれなりの効果はあったのですが、依存症形成のリスクが大きいということで、医師がこうした目的で処方することは減っていきました。
ですが、はっきり言って依存症形成リスクが大きいということは、製薬会社にとっては需要を長期にわたって拡大できる「良い製品」となるのです。そこで製薬会社は、執拗になんとか適応症の転換(repurpose)によって薬品としての寿命を引き延ばそうと画策します。
こうした製薬会社の努力のおかげで非常に多数の患者を出現させることに成功した可能性がそうとう高いのが、注意欠陥多動性障害という病気です。
アメリカだけで激増したADHD注意欠陥多動性障害(Attention Deficiency Hyperactivity Disorder、略してADHD)という病気をご存じでしょうか。とくに幼児期から少年期にかけて発症することが多い、注意力が散漫でじっとしていることが苦手という症状に付けられた病名です。
私は、子どもの頃に注意力が散漫だったり、じっとしているのが苦手だったりするのは、病気というより個性と見るべきではないかと疑っていました。
この病気を発症する子どもの数が1980年代頃から急激に増えていった事情をいろいろ調べてみました。もちろんほんとうに深刻な病気として治療を必要とするケースもあるのでしょう。
ですが、大半はリタリンとか、効能を発揮する期間を長くしたメチルフェニデート製剤であるコンサータの売上拡大のために、必要以上に多くの症例がADHDと診断されてきたのではないかとの疑いを、私は深めました。