生稲のデビュー曲が広島球場に鳴り響く
1987年9月20日の代々木第一体育館でのコンサートを最後におニャン子クラブは解散し、工藤、生稲、斉藤を含む在籍メンバーは全員卒業扱いに。以後、人気がそれまで以上に高まった工藤が多忙になったこともあり、徐々に先細りしていったうしろ髪ひかれ隊の活動は、1988年4月を最後に確認できなくなる。また、同時期に生稲、斉藤のソロデビューが発表された。
「ホリプロタレントスカウトキャラバン」から4年。短大2年の1988年に生稲は、こうしてついにソロのアイドルとしてデビューを果たすのである。
うしろ髪ひかれ隊では工藤に続く人気だった生稲のソロデビュー曲「麦わらでダンス」はオリコンの週間チャートでトップ10入り(最高位8位)。なおこの曲は、広島東洋カープの応援団が、“ダンス”とひっかけて“ランス”という外国人選手の応援曲として採用。そのことからその後、高校野球の応援時にも演奏されることがあったため、ヒットの規模以上に人々の記憶に残ることになる。
しかし、ソロ歌手としての生稲のピークはデビュー時であり、シングルを出すごとにチャートの順位は下がり、3枚目からはトップ10圏外に。ビッグヒットを連発する工藤静香との差は確実に開いていった。それでも1990年までは継続的なシングルのリリースを続けるが、そこから人気が再浮上することはなく、彼女のアイドル活動は実質終了となった。
地味ながらテレビに出続けることにより、有権者からの知名度は絶大?
その後の生稲の芸能活動は、歌手として多数のヒット曲を生んだ工藤静香や、ゴールデンタイムのバラエティ番組のMCとしてひっぱりだこだった渡辺満里奈のように華々しいものではなかった。しかし彼女は、断続的ながら長期間にわたりテレビに出演し続けていた。
1996年より1998年まで『暴れん坊将軍』シリーズ(テレビ朝日系)にレギュラー出演。1999年より2002年まで昼ドラマ『キッズ・ウォー』(TBS系)シリーズに主演。さらに2007年4月から2015年9月までの約8年半、午前中の帯番組である『ちい散歩』『若大将のゆうゆう散歩』(ともにテレビ朝日系)にレギュラー出演し、平日はほぼ毎日テレビに顔をさらしていた。これらのキャリアは、おニャン子ファンよりも上の年代にも、時間をかけてじっくりと確実に名前と顔を売る機会となったことは間違いない。これは、今回の参議院選挙の際にも大きなプラスになっただろう。
自分が主役になろうとはしない。最前列のど真ん中に立っていないと気がすまないというタイプでもない。しかし、常にちゃっかりと目立つところにはいて、ほどほどにおいしい思いもしている。それが、生稲晃子のタレント活動であったといえるのではないか。
そういえば先の参院選において彼女は、東京選挙区の得票数は全体の5位。自民党公認では、元バレーボール・ビーチボール選手の朝日健太郎につぐ2番めの得票数での当選であった。
(文=峯岸あゆみ)
提供元・Business Journal
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