おニャン子ブームは停滞するも、工藤静香らとともに「うしろ髪ひかれ隊」結成
おニャン子の“終わりの始まり”は、1986年の夏である。
9月にオリジナルメンバーである新田恵利、福永恵規(会員番号11番)らが卒業することもあり、世代交代を狙ってか、「おニャン子B組」と称する中学生メンバー5名を含む大量の新メンバーを加入させるのだ。しかし、風を変えるような強力な人材はそこには現れず、世代交代成功とはならなかった。当時の中心メンバーである渡辺美奈代、渡辺満里奈の人気は絶大だったが、グループ全体のブームは徐々に退潮していくのだった。
本人の証言によれば、「からあげクン」CMへの出演を果たした生稲にはソロデビューの話が浮上していたが、自分から断ったという。彼女はアイドルになるために積極的な行動をとってきたが、進学して将来は教師になるという現実的なビジョンがあったようなのだ。
このダブルスタンダードはしかし、破綻する。
受験勉強に取り組んだ結果、短大進学が決まるが、同じ時期に周囲の大人たちは彼女を工藤静香、斉藤満喜子(会員番号42番)の3名で「うしろ髪ひかれ隊」というグループでデビューさせることを決定。所属事務所はプロダクション尾木に決まる。

おニャン子解散、工藤静香のソロデビューでもろくも崩れた「うしろ髪ひかれ隊」
1987年5月リリースのうしろ髪ひかれ隊のデビューシングル「時の河を越えて」は、アニメ『ハイスクール!奇面組』(フジテレビ系)とのタイアップもあり、オリコン1位のヒットとなった。
しかしその翌月、大事件が発生する。
『夕やけニャンニャン』の終了とおニャン子クラブの解散が発表されるのだ。母艦を失うことはデビュー組には大きなダメージだった。なぜなら、おニャン子からソロ、もしくはグループでデビューしたメンバーは、卒業生であっても新曲を出す度に連日『夕やけニャンニャン』でその曲を歌う機会が与えられ、集中的なプロモーションができたからである。
うしろ髪ひかれ隊はおニャン子解散後も活動継続とはなったが、ここにきてもうひとつ、活動を不安定化させる事態が起こる。2ndシングル「あなたを知りたい」のリリースから約2週間後の1987年8月31日、『夕やけニャンニャン』の最終回放送日と同日に、もっとも人気が高かった工藤静香が「禁断のテレパシー」でソロデビュー。ソロ活動とグループ活動を並行するというスタイルがとられたが、当然、工藤が売れることで、グループ活動は自然と疎かにされていくのだ。