CBDCの推進目的と脆弱性

では、なぜそんなCBDCは推進されているのだろうか。推進派はその利点として、金融の包摂、コスト削減、決済速度や自動化、透明性の向上といった利便性の向上を挙げることが多い。

金融の包摂とはつまり、CBDCの世界では物理的な紙幣や硬貨は無くなってしまうため、現在銀行口座を持っていない人(2021年時点で米国では約4パーセントいると言われている)も生活のためには口座を作らざるを得ず、最後には全人類が中央銀行に直結する銀行口座を持ち、デジタル通貨を使って暮らさざるを得なくなるだろう、ということだ。

しかし、これらの利点についてはCBDCが導入されても実現するのは難しいのではないか、という否定的な見解も出されている。

そもそも前述の如く、あえて銀行口座を持たず、貨幣経済からできるだけ切り離された生活をしたいと考える人は少数ながら存在するのも事実であるし、また、それらの人々のみならず、日常生活における経済活動が100%中央銀行に把握されかねないとなると、それならCBDCの銀行口座など持ちたくないと考える人が増えることも想定され得るはずだ。

その中で、そんなプライバシーが保護されないシステムに全人類を半強制的に入れ込もうとすることが、果たして推進派が主張する「利点」と言えるのだろうか。

さらに、CBDCのもう一つの重大なリスクはサイバーセキュリティの問題だ。現在、私たち個人は中央銀行と直接やり取りはせず、市中の一般銀行とやりとりしている。そのため、筆者が利用しているA銀行のシステムがハッキングされても、通貨の流通自体がなくなるわけではない。

しかし、CBDCの世界では、中央銀行が全国民の取引をただ一つの台帳で管理する中央管理型システムになると想定されるため、仮にその中枢部分に障害が発生して大規模なシステムダウンが起これば、全国民の決済ができなくなり、経済活動そのものが停止してしまうことにもなりかねない。

つまりCBDCは、人間のプライバシーを著しく毀損するだけではなく、その実際の運用については、サイバーセキュリティ面を見ただけでも大変に大きな不安を抱えているのである。

CBDCの「プログラム」によりお金が蒸発?

では、なぜそんな問題だらけのCBDCが導入されようとしているのだろうか。CBDCのイノベーションハブを展開する国際決済銀行(Bank for International Settlements ; BIS)のGeneral ManagerであるAgustín Carstens氏は、以下のように述べている。

今日誰が100ドル札や1,000ペソ札を使っているのか、我々は知らない。CBDCが既存システムと決定的に違うところは、「中央銀行債務」という表現の使用を決定する規則や規制を中央銀行が絶対的にコントロールできること、また、それを実施するための技術も持つことだ。

つまりCarstens氏は、CBDCによって中央銀行が金融システム全体に対する「絶対的な支配力」を有することになると言っているわけだ。

さらに欧州中央銀行総裁のクリスティーヌ・ラガルド氏は、CBDCの運用について「絶対的な支配力」をなくしたり、利用者の完全な匿名性を保ってしまえば、テロ対策の観点から見ても危険だと言っている。

しかし、そうやってテロのリスクという曖昧な恐怖を煽ること自体、実際にどこの誰が保有しているかさえ不明な一民間組織に過ぎない中央銀行に「絶対的な支配力」を持たせ、それをもって全人類の資産の完全支配とプライバシーの剥奪を行わせたいと考える勢力が並べ立てた方便にしか聞こえない。

同様のことは、BISや世界銀行と共にCBDCに関する共同報告書を作成した機関である国際通貨基金(International Monetary Fund ; 以下、IMF)の幹部も発言している。IMFで副専務理事をつとめるBo Li氏は「CBDCをプログラムすることで、人々が所有できるもの・使用できるものに確実に資金を振り向けることができる」と述べている。

このLi氏の言う「CBDCをプログラムする」とは、実は大変に恐ろしい可能性をも秘めている。

例えば、人々が使用する通貨に対して「絶対的な支配力」を有するという中央銀行が、一時的に停滞した消費活動を喚起すべく、通貨に対して直接にマイナス金利を適用するといったこともできるであろう。それどころか、一定期間のみ有効でその後は無効化するといった買い物ポイントカードや航空会社のマイレージのように、CBDCでも一定の期限内に使われなかったデジタル通貨が失効するような仕組みを「プログラムする」ことさえ可能になるわけだ。

つまり、ある朝起きたら、自分の保有していたはずの貯金が失効しており、完全に蒸発していた、ということが技術的に起こり得るのである。