世界的に知られる港、横浜は、幕末の安政5年(1858年)に開港が定められた五港のひとつです。長い鎖国を抜け出ようとしていた当時の港町は、異国に向けて開かれた唯一の窓口でした。そのため、今も横浜には「近代的でハイカラ」なイメージが残りますが、今日ご紹介するのは、むしろ純日本的な香りがするスポットです。

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もとは「かねさわ」だった金沢
旧伊藤博文金沢別邸

もとは「かねさわ」だった金沢

都内から京急電鉄で南下すると横須賀市に入る手前の横浜市南端にあるのが金沢八景(かなざわはっけい)という駅です。古くから風光明媚なことで知られていたこのあたりの八つの勝景を指して、明の僧侶が17世紀の終わりごろ「金沢八景」と命名したのが、この名の由来になっています。

横浜の中の金沢:海と牡丹が彩る旧伊藤博文別邸
(画像=<金沢別邸から見た野島の海辺/©Kanmuri Yuki>、『たびこふれ』より引用)

金沢八景は浮世絵の題材としても取り上げられており、歌川広重のものが有名です。広重の描いた8つのスポットは、金沢八景駅からすぐの平潟湾と、その南東に浮かぶ野島の周辺に点在したと見られています。

ちなみに、「金沢」の読み方はもともとは「かなざわ」ではなく「かねさわ」でしたが、加賀藩にある金沢の知名度が上がるにつれ、徐々に「かなざわ」読みに移行したようです。

旧伊藤博文金沢別邸

上述の野島は、キャンプ場や展望台の整備された野島公園が、その東半分をまるまる占めており、その北の一角に「旧伊藤博文金沢別邸」が建っています。

横浜の中の金沢:海と牡丹が彩る旧伊藤博文別邸
(画像=<旧伊藤博文金沢別邸玄関/©Kanmuri Yuki>、『たびこふれ』より引用)

これは、日本最初の内閣総理大臣を務めた伊藤博文が、自身の別邸として明治31年(1898年)に建てたものです。その頃は、金沢近辺が海浜別荘地として注目されていた時期で、伊藤博文のほかにも松方正義や井上馨らが別荘を構えました。

当時の別荘建築を伝える貴重な遺構であるこの金沢別邸は、平成18年(2006年)に横浜市有形文化財の指定を受けています。その後2007年からの解体・修理・復元工事を経て、2009年に今の姿で竣工されました。