中国化する米国
政府や企業が個人や組織に非財務的な基準で評価を行い、それを元に影響力を行使せんとする手法は、全体主義・社会主義国家で顕著にみられる特徴であるが、現代においてそのような手法を採用する国の代表例の一つは中国であろう。
中国では何年も前から、政府が認める「社会スコア」が一定基準を満たさない個人に対しては、例えば本人に十分な資金力がある場合でもインターネット上でブランド物を購入させない、または航空機のチケットを購入させないといった強制力を通じ、国家が個人の選択の自由を著しく制限する措置が行われてきた。
ここでいう「社会スコア」とは、交通マナーやごみの捨て方といった「公共の福祉」を目的とするものだけでなく、政府に不都合な言論活動の有無など、中国共産党に対する個々人の従順さで評価されるものだ。これに対し、一部の識者からは「中国の消費者に対する人権侵害だ」とする懸念の声が挙げられてきた。
そして今や、米国においても、特定の企業がESGの観点をもって、つまり「ESGの兵器化」を通じて一方的に不適切と見做す個人や組織を排除しつつあるということは、米国が中国化しつつあることを意味するのではないか。実際にその米国国内では、ESGの美名のもとに次第に国民が特定のイデオロギーに縛られ、実質的に思想・言論の自由を制限され始めており、多くの国民はESGのあり方そのものに困惑しているのだ。
このことは、実は日本人にとっても対岸の火事ではない。日本政府は2022年から、企業・自治体・国民を巻き込んだ「脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動」を展開している。仮にこれがほとんどの企業に浸透した場合、企業が国民に執拗に「脱炭素」に向けた行動変容を促し、前述の米国での例のように「国民運動」なるものに従順でない顧客が一方的に排除されるといったことが起こりかねない。ひいては実質的に自由が奪われることになる可能性も否定できないだろう。
日本も米国の動きを他山の石とし、美事麗句に隠された「ESGの兵器化」に警戒すべきではないだろうか。