インフレは株価評価を下げる
こうした条件のもとで、まだかなりの高水準に踏みとどまっているアメリカの株価は、いったいどうなるでしょうか?
ここで気になるのは、インフレの加速は株価にとって好材料と考える人が非常に多いことです。
「インフレ率が高まると、欲しいものはすぐに買わないと高くなると思って買い急ぐ。そこから企業活動一般が拡大に転じる」とか、「大衆は物価上昇率と同じ率で名目賃金が上がっただけでも、稼ぎが増えたような気になって消費を拡大する」といった議論です。
日本でも消費税率が引き上げられるたびに、買い急ぎ需要を期待する声もありましたが、1回目、2回目とその効果は短期化し、3回目にはほとんど消滅しました。また、インフレ率と同じ率で名目賃金が上がってもまったく購買力が増えないことぐらい大衆は知っています。
実証研究では、インフレ率の上昇、あるいは慢性的な高インフレ状態は、同じ金額の利益をあげている企業の株価評価を圧縮することが判明しています。
過去の10年代ごとのアメリカのインフレ率を比べると、1910年代、1940年代、1970年代がインフレ率が高かった10年代でした。
このうち、1940年代は前半の戦争特需、後半の復興景気で企業利益率も順調に伸びた10年間でしたが、1910年代は第一次大戦による輸出不振で低迷し、1970年代はstagflation(不況下の高インフレ)という造語ができるほど、企業業績が伸びない10年間でした。
また、インフレが持続する時期には、株の総合収益率(配当利益を同じ株の追加購入に回したときに達成できる株価上昇+株数増加による収益率)がかなり大きく低下します。次のグラフの左側でご覧いただけるとおりです。
10年ごとの米国株総合収益率ワースト5を見ると、1910年代がマイナス54%で1位、1970年代がマイナス41%で2位、そして業績は比較的良かった1940年代でさえマイナス21%で5位となっています。
2000年代はインフレ率は落ち着いていましたが、2度のバブル崩壊にもかかわらず景気循環調整済みPER(CAPE)が高止まりしていたためにマイナス39%の3位に入っています。
1930年代にいたっては、インフレどころかかなり大幅なデフレだったのですが、あれだけ株価が下がっても、まだ1920年代に上がりすぎたCAPEが十分に下がっていなかったので、マイナス30%の4位となっています。
そのCAPEがどのくらい高いと株価は下落し、総合収益率もマイナスになるのかを図示したのが右側のグラフです。1910年には14.5倍、1940年には16.4倍、1970年には17.1倍で出発して、大幅なマイナスになっていたのです。
それに比べて、2020年はCAPEが29.0倍だったのです。高さ3メートルの踏み切り板から飛びこむふつうの板飛び込みと、高さ10メートルの踏み切り板から飛びこむ高板飛び込みぐらいの差があると言っても大げさではないでしょう。
次の2枚組グラフでは、3回あったインフレの10年代で、企業の実質増益率とPERの圧縮率がどうだったのかを比較しています。
上段の実質増益率のほうは、1910年代が約40%の大幅減益、1940年代が40%強のかなりの増益、そして1970年代が約30%とそこそこの増益、つまり平均値を取ってもあまり意味がないほどばらけています。
一方、下段のPER圧縮率のほうは、3回とも揃って大幅な圧縮で平均値ではマイナス47%と、ほぼ半減となることがわかります。
2020年代は大幅なPER圧縮をまぬかれるか?さて、現在進行中の2020年代はどうでしょうか? 前の10年代の増益率が高すぎたために、株価評価一般が甘くなっていて、おまけにインフレ率も急加速に転じました。過去のパターンをくり返すとすれば、大幅な株価下落が予想されるところです。
たとえば、利益はまったく同額を出しつづけていても株価は半減、2ケタ減益でもしようものなら、株価は3分の1とか4分の1に下がっている……そんな事態が起きるのでしょうか?
2020年代の最初の3年間を過ぎた時点ですでに企業の実質増益率のほうは23%の増益になっているのですから、たとえ株価の評価基準が大幅にきびしくなっても、そこまで大きな株価下落はなさそうに見えます。
しかし、私は1930年代大不況と同様の株価下落とGDP縮小、生活水準の低下程度で済んでくれたらむしろラッキーだと言うくらい深刻な事態、しかも経済・金融の枠内にとどまらず、政治社会情勢全体を揺るがすような事態が勃発すると見ています。
最大の理由は、2010年代の企業経営が、1920年代よりはるかに悪辣に勤労者の犠牲のもとで株主や経営者、そして金融機関だけが大儲けをする仕組みになっていたからです。
まず企業利益総額がGDPに占めるシェアの移り変わりをご覧ください。
2000年代までのアメリカ経済では、企業利益の対GDP比率は景気循環の山で10~13%、谷で7~8%の範囲で推移してきました。
ところが、2010年代に入ってからはこの範囲の上から4分の1ぐらいの範囲内で動いているのです。つまり、世間一般には好況の後には不況があっても、企業経営には好況ばかりで不況もふつうの景況もないというわけです。
逆に勤労者の賃金給与がGDPに占める比率は、企業利益のシェアが高まるにつれて低下しています。
20世紀後半を通じて、最低のシェアはGDPの44%強という水準でした。ところが、2010年代以降でその44%という水準をクリアできたのは、2020年に第1次コロナショックによる企業利益の一過性の激減が起きたときだけなのです。
なお「求人広告を出しつづけてもなかなか埋まらない空席があり、いずれ企業は高めの賃金給与を約束して募集することによって空席を埋めるから、賃金給与の対GDP比率も徐々に改善していくはずだ」との見方もあります。
次のグラフが、そうした見方の根拠となっているようです。
上段を見るとたしかに求人中で埋まらない空席が増えるにつれて、企業の雇用コストも上がっています。
ですが、インフレ率が7~8%の経済で雇用コストがやっと5%台まで上がったということは、実質ベースではまだ賃金給与の取り分は下がりつづけていることを意味します。
また下段で、空席数が1000万人を突破してから約2年経っても、相変わらず失業者数は500~600万人、空席数は1000~1200万人という比率がほとんど変わらないという事実は、空席の大部分が非常に劣悪な条件の仕事であることを示唆しています。
ウェイター、ウェイトレス、バーテンダーといった仕事は、好況のときでさえ客からのチップがなければ生計が立てられないほど低賃金でした。
コロナによるロックダウンによってそうした仕事が大幅に削減された際に失業した人たちが、徐々にふつうの生活が戻ってきたところでコロナ以前より景況が良くなっているはずはない職場に戻るかとなると、大いに疑問です。