海外ではスマートシティに対する抗議行動も
基本的な自由や人としての尊厳どころか、生理現象まで制限されかねないこんなスマートシティを果たして人類は受け入れるのであろうか。狭いマンションやアパート暮らしに慣れている我々日本人でさえ、大半の人は拒否反応を示すに違いないと思う。狭いスペースでの生活に慣れていない米国人などは、一時たりとも我慢できないに違いない。
実際、ハートランド研究所の研究員は、「米国では、人々は自分のスペースや土地を持つことに慣れているので、すぐにこのようなスマートシティに飛びつくようなことにはならないだろう」と語っている。
しかし、程度の差こそあれ、米国もスマートシティとは決して無縁ではない。米国でスマートシティの先陣を切った都市の一つにオレゴン州ポートランド市があり、この取り組みについては日本の市民大学からも視察が行われていた程であった。
そんなポートランド市が最近著しい人口流出に悩まされているということは注目に値するだろう。実際、ポートランド市の10年の都市計画を総括した論文においても、同市の取り組みが手放しで賞賛されているわけではない。
さらに、オハイオ州クリーブランド市においてもスマートシティの取り組みが進められているが、同市は2023年2月に危険物積載列車の脱線事故があったオハイオ州東パレスチナの近郊都市でもある。この列車事故で、周辺の土壌や空気、さらに飲み水などが著しく汚染されたと言われており、これを契機に帰る家を失った東パレスチナの住民は、クリーブランド市が薦めるスマートシティに「収容」されることになるのではないかとの懸念を示す識者もいる。
さらに米国外に目を向けると、既に英国のオックスフォード市のスマートシティ計画に対し「自宅から15分圏外への移動の自由がなくなるのではないか」「暗黒計画だ」として抗議運動も起こっている。
スマートシティは少数(FEW)エリートによる支配の手段?スマートシティの背後にあるエリート層の目論見は何なのか。ハートランド研究所の研究員の見解を紹介したい。
ザ・ラインのようなプロジェクトが、王族が鉄拳を振るう権威主義的な中東で行われていることに注目すべきだ。このようなプロジェクトの目的は、人々をよりコントロールすることにあるのではないか。ボリシェビキ時代(ロシア革命)から数えること100年以上、支配者たちは人民支配のための「壮大なる計画」を試み、様々なことを人々に強制してきたが、それらは悉く失敗してきた。支配者自身に全ての計画を展開するだけの力はない。問題は、失敗の過程で何億人もの人々が犠牲になるということである。
一般市民向けにザ・ラインのような計画都市を建設する一方、世界経済フォーラムに集うような大富豪やエリート層らは自分たちのバケーション用として、ドバイに広大な人工リゾート「パーム・アイランド」なる娯楽施設を作っており、そこはすでにキャンセル待ちが出るほど大盛況だとも言われている。
パーム・アイランドは清潔で広々と解放感がある環境であり、個々のプライバシーも守られる、まさにスマートシティとは真逆のタイプの地上の楽園のようだ。気候変動対策のためにエネルギー効率性を上げ、CO 2を減らすべしなどというお題目など、ここではまったく考慮されていない。
そうして自分達だけは悠々自適の豪奢な生活を堪能するエリートたちによって、極めて効率的に、つまり「スマート」に我々自身を管理・監視させるようなスマートシティを受容することは、みずから好んで人間らしさの象徴たる自由と尊厳を捨て、「蚕棚型強制収容所」の住人になろうとするようなものではないだろうか。
日本の地方自治体も、「環境にやさしい」や「便利だ」といった美辞麗句に飛びつく前に、そんなスマートシティへの移住が、本当に人間の生活を豊かに幸せにするものなのかをしっかりと考える必要があるように思う。
ところで、この原稿を書くにあたり何度も世界経済フォーラム(World Economic Forum、略称WEF)の文字を目にするなかで、ふと、WEFを右から左に読んでみたところ、背筋が凍る思いをした。F・E・Wと繋げると「FEW(かなり少ない/ほとんどない)」となるのだ。
「WEFと書いてFEWと読む、その心は少数の、少数による、少数のための人類完全支配のためのフォーラムである」と考えるのは、筆者の妄想が過ぎるだろうか。