松川議員: 「個人の請求権が残っていること」を以て、「日韓間の請求権の問題が最終的に解決していない」というのは違う。国家間ではそれはもう最終かつ、あの、…終わっている。

敏感な事情に配慮して、大変慎重な言い回しをしている。松川議員の発言は続く。

問題は2点目。中国のケースと韓国のケースは全く違い、中国は1972年に共同声明で賠償金を放棄している。一方韓国の場合は、65年協定において日本からは5億ドルの協力金に加え、在外資産を朝鮮半島全体で53億ドル、南朝鮮分で約20億ドル放棄している。要するに当時の韓国の国家予算が3.1億ドルなのでその8倍くらいの財産を日本から韓国に引き渡している。更に竹島では多くの船が拿捕され5人が亡くなっている(が賠償なども放棄している)。 「それら全部がパッケージの韓国」と「“ビタ一文”もらっていない中国」とを同列に並べるのは違うと思う。

「同列に並べるのは違う」という表現も慎重である。なお、上記の話は数字を含めて一切メモなどを見ていない。全て暗唱している記憶力と論理展開力には驚かされる。

一般論として「イエスかノーか」では表現できない状態「イエスでもノーでもない」という状況はよくあるが、大胆な(雑な)要約で物事を捉えたがる人には通じない。

番組を見直せばわかるが、松川議員が中国と韓国の差異について説明している途中から、橋下氏は頷くのをやめ、正面(松川議員と違う方向)を見据えて話に反応しなくなっている。

そして松川議員が(恐らく重要な)話の続きをしようとするのを強引に遮って橋下氏は持論の展開を始めるが、下記の部分は曲解、あるいは過度に要約しすぎて誤導的になっている。

橋下氏: (略)松川さんのように「政府が決めたんだから全部終わりじゃないか」と言うのは…

たまらず話を遮る形で松川議員が強く異議を表明する。

松川議員: 言ってない!そんなこと。…違います。

しかし万事休す。強引な橋下話法に包み込まれて、実相は視聴者からは見えにくくなってしまった。奇妙で気まずい印象だけが残った。

情報発信者としての松川るい議員の分析

プレゼンテーションの定量分析

ここからは、意味内容ではなく定量的な分析をして行く。

松川議員の思考とトークの特徴は、そのスピードにある。情報の速度(量)も深さ(質)も一般国民にはもしかしたら豊富過ぎるのかもしれない。

筆者は政治家の発言を扱う際、地上波ならば録画し、国会ならば両院のアーカイブを視聴する。どちらも繰り返し視聴し、ほぼ必ず自分自身で文字起こしを行ってから分析する。筆者は物忘れが良いので、込み入った話は繰り返し聞かないと憶えきれず、深い真意も掴めなない上、時間が経つと印象に引っ張られて“false memory”を形成しやすいからである。しかし一般国民では、ここまで慎重に話を扱う人は少数派だろう。

政治家の中で、筆者にとって、文字起こしの難易度で最高得点を獲得するのは松川議員である。一方、最低点(易しい)は岸田総理である。総理の話が易しい理由はシンプルに3つある。一つは「ゆっくり話す」からである。2つ目は「(単位時間あたりの)情報量が少ない」からである。3つ目は「予め整えられた(明瞭な構文の)文章が多い」からである。(皮肉は一切ない。)

松川議員の話は三要素とも逆である。(あくまで筆者にとっての話)

それではどれくらい速いのか。