本当に社内に経営人材がいないのか
地方の中小企業の根深い問題、それは「社内にいる“かも”しれない、潜在的な経営人材を見逃してしまっているのではないか?」ということです。
経営人材の必要性を説くと、必ずと言っていいほど下記のような声を聞きます。それは「うちの組織には経営人材がいないんです」という声です。
しかし、私の経験上はどのような組織でも、潜在的な経営人材は必ず3%前後の割合で存在します。
中小企業であろうが、零細企業であろうが、老舗企業であろうが、どんな組織にも最低でも一人は会社のことを真剣に考え、さらには自分の人生も真剣に考え、その組織に属すこと自体を喜びとし、難題にもめげずに、今の会社の状態を変えようと本気で信じている人はいます。
しかし、我が社にはいないのだと決めつけ、「見つけようとしないこと」が一番の問題です。存在しないのではなく、見えてこないのが、地方中小企業の生産性低下の大きな根深い問題だと私は考えています。
潜在的な経営人材を見つけられない原因
それでは、なぜ潜在的な経営人材が見えてこないのか?そこには地方中小企業に多い組織風土が起因していると考えます。
地方中小企業に多い組織風土として「社長孤軍奮闘体制」が挙げられます。経営人材がいないから孤軍奮闘体制になってしまっている、とも取れますが、私の考えは「孤軍奮闘体制になっているから経営人材が成長してこない」と逆説的ですが、そのように考えています。
社長はものすごいパワフル、そしてカリスマ性がある。だからこそ、社員はみんな社長を多少の怖さを感じながらも尊敬している。
だからこそ、トップダウンで、戦略を決め、さらに実行し、仕事は標準化され、分業、細分化も行われ、生産体制を安定し最大化をすることが大事とされてきたのかもしれません。
しかし、その体制こそ、社長しか物事を決められなくなり、孤軍奮闘状態になり、社員がアルバイト化してしまい、受け身な状態になってしまう要因であることはよくあります。
社員が「受け身」になってしまう理由
心理学でよく言われる「学習性無力感」というものがあります。
学習性無力感がどうやって起きるのかを表す有名な実験があります。水槽の中に魚を一匹入れ、餌を与えずに放置します。魚を空腹状態にし、水槽の上部にガラス板の仕切りを作り、ガラス板の向こう側に餌をおきます。
魚は空腹状態なので、餌を食べようと勢いよく飛び上がるも、ガラス板が障害となり食べられません。突進しては、ぶつかり、突進しては、ぶつかり・・・を続けると、動かなくなり、無気力状態になってしまうのです。
次に、ガラス板を取り外して、いつでも餌を食べられる状態にしました。しかし、一度無気力になってしまうともう餌を取ろうとはしなくなったというものです。
これは人間にも同じことが当てはまります。挑戦やチャレンジを行い、たとえば会社や社長に提案をしようと試みても、それが認められず、進展しないと悟った時にそれ以上何もしなくなることも多いです。
自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態のことをいいます。
この実験で最も大切なことは、この魚のように、ガラス板がなくなり、自由な状態となったとしても、一度学習性無力感になってしまうと餌を食べなくなってしまうことです。
私は、地方に限らず多くの組織の社員がこのような状態になってしまっているのではないか、という仮説を持っています。特に、社長トップダウン型組織が多い(そうせざるをえない)地方企業に多いのではないかと考えています。
先の魚の実験と、組織の最も大きな違いは、ガラス板が「見えるか見えないか」というのも非常に大事な視点です。
組織におけるこの「ガラス板」はなんとなくの「暗黙知」や「固定観念」であることが多いのです。さらに恐いのは、昨今のように人材の流動性が上がっている中で、勤続年数が長ければ長い社員ほど、この暗黙知に浸かっていることが気づかず、気づいた時には学習性無力感になってしまったというケースも非常に多いことです。
社長は「もっと社員に主体性を持ってほしい」「もっと私に会社を改革する提案をしてほしい」と望みますが、一度有能な社員でも学習性無力感になってしまった場合、社員の自律を高める経営の実現は難易度高いものとなります。