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2023年最初の記者会見で首相がいわれた「異次元の少子化対策」と所信表明演説での「次元の異なる少子化対策」は、意味も内容も異なるという立場から、マスコミで毎日量産されている「私の少子化対策論」を少し整理してみたい。
各方面からこれだけの意見が公にされる現象は、おそらく「1.57ショック」以降33年にして初めての出来事であり、首相発言の「異次元」という仕掛けが功を奏したといってよい。しかし、その後に「異次元」と「次元の異なる」を同じように「画期的な」(epoch-making)という文脈で使われたとすれば、それは誤用に近い。なぜなら、「次元の異なる」は従来とは単に「違う」(different)ないしは「別である」以上の意味を持ちえないからである。
そして、「通常次元」と「違う」「別である」のならば、「少子化対策の前進」とともに「対策の後退」までも含んでしまう。年頭記者会見で抱負をのべられた際の「異次元」は、おそらく「少子化対策の後退」ではない。その表現にマスコミだけではなく少子化に多大の関心をもつ国民が驚いたのは、「異次元」というニュアンスが「画期的な少子化対策」への道筋につながると期待したからである。