日米の安全保障研究の格差
李氏の拡大理論抑止の基本は、ミアシャイマー氏の通常抑止理論の応用です。斬新な発想だと思って李氏の経歴を確かめたら、彼の指導を受けて博士号を取得していました。優れた研究者・教師からは、よい弟子が育ち、見事な研究が生まれるものだと感心します。そして、こうした新しい優れた研究を知れば知るほど、アメリカの政治学/国際関係論/安全保障研究/戦略研究の底力を痛感させられます。
残念ながら、日本は安全保障研究や戦略研究において出遅れてしまいました。我が国の戦略研究の草分け的な存在である西原正氏は、今から35年前に、
日本では…戦略的思考者を育てるべき大学がその責任を…ほとんど果たしていない…日本人は平和憲法を信頼し…幻想の世界に生きようとしたがために、国家の戦略について考える必要がないと思ってしまった…戦略研究は、大学のカリキュラムにおいてタブー視され、意図的に排除されてきた
とアカデミアの軍事忌避の問題点を率直に指摘していました。その後、これらの研究環境は改善されましたが、それでも日本はそのツケを今に払わされているように感じます。
英語で研究成果を海外のジャーナルに数多く発表している多湖淳氏(早稲田大学)は、昨年の暮れに「日本の国際政治学者特有の事情かもしれないが、専門外であるか否かを問わず、とにかく意見を述べることに使命を感じる『研究者』が少なくないようである…『目立つ日本の国際政治学者』の情報発信に惑わされず、世界水準の国際政治学者のまっとうな研究に目を向けてはどうか」と発言をして物議を醸しました。
これに対して細谷雄一氏(慶應義塾大学)は、「いわゆるタレントやテレビ解説員の一部の方が、ときにはあまり的確とは思えない論評をされていたり、基本的な知識が不足した状態で発言をしている様子を見る中で、多くの国際政治学者がそれらを修正して一般の視聴者に有益な発信をしていることは重要な社会貢献と感じました」と多湖氏を批判しました。
私は、政治学研究の多様性を擁護する立場から、定性的アプローチや定量的アプローチ、理論研究のみならず地域研究や歴史研究、思想研究などが共存しながらも、この学問を発展させることが望ましいと信じています。
その一方で、細谷氏の発言を借りれば「国際政治学者の一部の方が、十分な知識が不足した状態で発言している様子」を修正する建設的な学者同士の相互批判が、ほとんど行われないのも好ましいと思いません。
この点について、河野勝氏(早稲田大学)は、「メディアに登場するコメンテーターや評論家たちが、なんの根拠もなく、また政治学の常識からすると明らかに間違った解説を平気で述べていることに対しては、『プロ』としてチェックの目を働かせ、時には憤りを持って彼らを批判」する必要性を訴えています。
抑止の研究は、世界で膨大に蓄積されてきました。国際政治学者が「プロ」として影響力のあるメデャアやインターネットで発言する場合、先行研究に賛成するか反対するかは別にして、自分の専門分野についての主要な既存の研究成果をキチンと理解したうえで意見を述べるべきでしょう。
例えば、日米同盟の抑止効果は、その信頼性によるというのであれば、少なくとも、同盟や拡大抑止と信頼性に関する有力な研究結果を踏まえたうえで、根拠に裏づけられた説得力のある解説が求められます。
「プロ」に国境はありません。自分の専門分野で第一人者とされる学者の主張を論駁できるような質の高い見解を述べてこそ、「職業としての学問」(マックス・ウェーバー)に従事する資格者ではないでしょうか。
日本の国際政治学は、「輸入学問」であると揶揄されることがあります。私は、輸入学問の何が問題なのか、理解できません。それどころか、過去に日本の国際政治学界は、世界で広く高く評価されている優れた研究の輸入を怠ってきました。この事実は忘れない方がよいでしょう。
アメリカの政治学のいくつかの専門分野が日本のそれよりも「比較優位」を持つのであれば、それらを積極的に輸入して研究や政策立案に活かすのが得策です。安全保障研究や戦略研究では、アメリカの大学院で政治学の博士号を取得して、学術的に鍛えられた学者が次々と画期的な研究成果を発表しています。この記事で紹介した李氏の研究もその1つです。それらを見逃すのは愚かなことでしょう。
日本政府は、奨学金をだして、若い優秀な学生をどんどん北米の大学院政治学研究科に送り込むくらいのことをやってもよいと思います。