抑止の有効性と戦力比

拡大抑止は、パトロン国とクライアント国が敵対国の迅速な勝利を拒否できる戦力を持てば、成功しやすいと考えられます。なぜならば、戦争はコストがかかる行動なので、素早い勝利が見込めない侵攻に付随する損失は、挑戦国の軍事力による現状打破行動へのインセンティヴを低下させるからです。

それでは、攻撃側は防御側との戦力比がどの程度であれば、武力侵攻を思いとどまるでしょうか。その1つの答えが「3対1」です。これは戦略研究では「攻撃三倍の法則」と呼ばれています。ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、通常戦力の抑止を分析した古典的な論文「通常戦力バランスを評価すること—3:1ルールとその批判—」において、以下のように主張しています。

攻撃側は特定の地点における防御側を突破するには、戦闘力で少なくとも3:1の局地的優勢が必要である。

つまり、戦争が起こりそうな場所において、敵国が自国より三倍以上の戦力を保有している場合、抑止は破綻する可能性が高まる一方で、敵国の優勢が三倍に満たない場合、消耗戦になるコストとリスクが敵国による侵略を抑止するであろうということです。

李氏は、ブルース・ブエノ・ デ・メスキータ氏(ニューヨーク大学)が著書『戦争の罠』で定式化した、距離で補正する軍事力(CINC: Composite Index of National Capability)の計算式に基づき、クライアント国と敵国の戦力比を論文の付録で公表しています。その際、拡大抑止を提供される同盟国の純粋な防御能力を算出するために、彼はあえて拡大抑止提供国の戦力を除外しています。その結果は次の通りです。

冷戦期における西ドイツとソ連の戦力比は、ザックリと計算すれば、1対9から1対6程度でした。すなわち、ソ連は西ドイツを国家として滅ぼすのに十分で強力な戦力をヨーロッパに展開していたのです。そのためアメリカはソ連の西ドイツへの侵攻を抑止するために、戦術核兵器を同国に配備しました。

冷戦後期における中国とフィリピンの戦力比は7対1でした。しかしながら、フィリピンは南シナ海の島嶼をめぐり中国と紛争になっていたのであり、その生存を脅かされているわけではありませんでした。それなのでアメリカは通常戦力をフィリピンに展開することで対応しました。

タイはヴェトナムとの戦力比において、1対0.48の割合で優勢でした。それなのでタイ単独でも十分に抑止を成功させられます。そのためアメリカはタイとの連携において、通常戦力による防衛力の提供にとどめています。

尖閣諸島および朝鮮半島における有事と拡大抑止

我々が気になるのは、日米同盟が中国の尖閣諸島への侵攻を抑止できるのか、ということです。

李氏の計算によれば、東シナ海の戦域における日中の戦力比は1対2.45です。すなわち、尖閣諸島での有事に対処する自衛隊の能力は、今のところ、中国人民解放軍による迅速な勝利による既成事実化をかろうじて防げそうだということです。

「攻撃三倍の法則」は、在日米軍の戦力抜きでも、自衛隊のみで中国の攻撃を抑止できる可能性を示唆しています。しかしながら、中国人民解放軍は今後も戦力を強化し続けますので、日本が防衛力を増強しなければ、近い将来に三倍を超えるのは確実でしょう。

ですから、日本が新しい国家安全保障戦略で防衛費を倍増すること、反撃能力を保有することを決定したタイミングは、中国に戦力で三倍の優勢を持たせるのを直前で阻止したと言えるでしょう。日本の安全保障にとって幸いなのは、日本の防衛力に在日米軍の戦力を加えると、中国のアドバンテージはグッと縮まりまることです。

くわえて「核防衛協定」としての日米同盟とそれを円滑に運営するための日米拡大抑止協議は、アメリカの日本防衛への強いコミットメントを示しています。これは「コストをかけたシグナル」として、中国の指導者に届いているはずです。

要するに、アメリカの日本を守る公式の決意はホンモノであると北京に認識させる効果が見込めるということです。この論文の分析結果だけから結論を出すのは早計ですが、日米同盟の対中抑止効果は、我々が懸念しているより、多少は強力である可能性があります。これには日本人として少し安心させられます。日米同盟の対中抑止をさらに強化するには、両国間の情報収集・警戒監視・偵察活動(ISR: Intelligence, Surveillance and Reconnaissance)の促進が有効でしょう。

興味深いのは、李氏が、北朝鮮の脅威には現在の米韓同盟態勢で十分に対抗できるので、アメリカの韓国領土への戦術核の再配備は不必要であるばかりか、中露の反発により朝鮮半島の緊張を高めるので、これは間違った助言であると主張していることです (同論文、795頁)。

韓国は北朝鮮に対して戦力で1対0.7の優勢にあります。それなので北朝鮮は韓国を攻撃をしても、迅速な勝利を収められないでしょう。これに前方展開する在韓米軍の戦力が加われば、米韓はさらに優勢になりますので、北朝鮮への抑止は効くということです。

今年に入り、韓国の尹錫悦大統領は「問題が深刻化すれば、韓国に戦術核を配備するなど、独自の核武装もあり得る」と述べましたが、李氏は韓国の核武装を間違った戦略であると批判しています。韓国は核武装も核共有も必要ないのです。なお、同盟国であるアメリカのジョン・カービー調整官は「韓国政府は核兵器を追求するのではないという点を明確にした。韓米は共同で拡大抑止を議論していて、我々はこのような方向に進むだろう」と語っています。

中国の台湾侵攻が、どの程度、抑止されるのかも気になるところですが、残念ながら、米華相互防衛条約が1979年末で失効したために、それ以後の米中台の戦力分析は、上記の研究対象から外れています。ただし、筆者と交換したメッセージにおいて、李氏はアメリカの台湾への拡大抑止の効果を明らかにする研究を進めていると書いていました。この重要な問題に関する研究成果が発表されるのを期待して待ちたいと思います。