拡大抑止の最新研究

アメリカのバイデン政権は、アジア・リバランス政策を掲げていたにもかかわらず、昨年2月のロシアのウクライナ侵攻以来、戦略的な資源をヨーロッパに集中投入しています。残念ながら、アメリカにはヨーロッパとアジアで2つの戦争を同時に行う戦略も能力もありません。アメリカがウクライナ情勢に集中すればするほど、インド・太平洋地域で想定される有事への対応が疎かになりかねません。

二極化する国際システムにおいて、ウクライナに気をとられるアメリカは、アジアの同盟国やパートナーに拡大抑止を提供し続けています。それはどのくらい機能しているのでしょうか。抑止とは、国家が相手国の敵対行為を思いとどまらせることです。したがって、抑止が効いている限り、戦争や武力紛争は起こりません。

生起した出来事の原因は、それを引き起こしているであろう要因を見つけて、両方が相関しているのかを統計的に検定したり、事例を観察して因果プロセスを確認したりすることで、ある程度は明らかにできます。他方、起こらなかったことは、顕著な変化がないことなので、何が現状を維持させているのかを分析するには、はるかに困難で高度な方法論と研究力が求められます。つまり、抑止が効いていることを論証することは難しいのです。

こうした難題に取り組んで一定の答えをだしたのが、新進気鋭の若手研究者である李都英氏(オスロ大学)です。彼は安全保障研究のトップジャーナルである『安全保障研究(Security Studies)』に論文「拡大抑止の戦略—どのように国家は安全保障の傘を提供するのか—」を発表しました。

その内容を簡潔に要約すれば、抑止提供国(パトロン)は同盟国(クライアント)が受ける脅威の程度に従い、複数の拡大抑止戦略から適切なものを選択するということです。拡大抑止提供国は、同盟国に脅威を与える敵国が武力行使により迅速な勝利を収められる可能性が高いか、それとも低いかを判断したうえで、どのような形態の同盟を結び、通常戦力または核戦力をどのように展開するのかを決定するのです。

出典:Lee, “Strategies of Extended Deterrence,” p. 771.

拡大抑止は4つの類型に分けることができます。

第1のパターンは、敵国が高い確率で迅速に勝利できそうで、その脅威が同盟国の生存を根底から危険にするケースです。このような場合、拡大抑止提供国は核戦力を前方展開して、同盟国を守る戦略をとります。この事例が同盟国との核共有 (nuclear sharing) です。冷戦期に、アメリカはソ連の強力な通常戦力に対して圧倒的な劣勢を強いられていた西ドイツに戦術核兵器を配備して、それを同国と共有しました。

第2のパターンは、敵国が高い確率で迅速に勝利できそうであるが、同盟国の生存を根底から脅かすまでの危険を与えていないケースです。このような場合、拡大抑止提供国は通常戦力を前方展開して、同盟国を守ろうとします。その1つの例が米比相互防衛条約です。冷戦後期において、アメリカは空軍と海軍の部隊をクラーク基地とスービック基地に駐留させて、中国の脅威からフィリピンを守りました。

第3のパターンは、敵国が想定される戦争で迅速な勝利を収める確率は低いが、その脅威は同盟国の生存を根底から危険にしているケースです。このような場合、拡大抑止提供国は核兵器の威嚇を盛り込んだ防衛協定を結びます。この1つの事例が、現在の日米同盟です(李氏は、日本を生き残りへの脅威がないとコード化していますが、私は、そうではないと判断しました)。日本は中国や北朝鮮の核の脅威からアメリカの核の傘により守ってもらう一方で、想定される尖閣諸島への中国人民解放軍の侵攻に対しては、自衛隊と在日米軍で対応するということです。

第4のパターンは、敵国が迅速な勝利を収める確率が低く、その脅威も同盟国の存在自体を危険にするまでには至らないケースです。このような場合、拡大抑止提供国は通常戦力による防衛取決めを選択します。これにはアメリカとタイの戦略的連携があります。アメリカはタイを「主要な非NATO同盟国」と位置づけています。これはアメリカの「1961年対外支援法」と「1987年ナン修正法」により定められたもので、指定国に対し装備品の譲渡など、軍事面での優遇措置を与えるものです。タイはヴェトナムから脅威を受けていましたが、その安全保障を根底から脅かされていません。