通常次元の二本柱
表1の内容は歴年の『厚生労働白書』と『少子化社会対策白書』に詳しい。これまで両者を読んできた経験からすると、そこには「待機児童ゼロ」と「ワークライフバランス」(前半では「両立ライフ」)がいわば二本柱として屹立する姿が鮮明である。
加えて、時の首相も厚生労働大臣(のちには少子化担当大臣)も「少子化対策とは何か」を積極的に語ることはなく、「子ども」に関連すると各省庁担当者が判断した事業予算だけが独り歩きをしてきた。これもまた「通常次元」に含まれている。
このような「通常次元」のまま30年が経過してみて、実際に厚生労働省で実務を担当した人々からも「政策効果のなさ」や「対策の失敗」という評価が2022年になって言われ始めた注3)。
対策の失敗の後に登場した「異次元の少子化対策」そこで冒頭の「異次元の少子化対策」に戻ろう。年明けからのメディアで飛び交う意見をまとめると、少なくとも3通りの様相を帯びていることが分かる。
一つは「個別体験論」であり、自らの狭い経験を基にした個人的な意見開陳である。二つには個別体験を活かしながら、長年伝えられてきた民衆知の塊ともいえることわざや慣用句を強調する立場がある。そして三つ目としては、人口研究や家族社会学そして小児医学や発達心理学や労働経済学などの専門家が、自らの研究成果に基づいての発言になる注4)。
個別体験論まずは「個別体験論」であるが、「私の健康法」「私の子育て法」「私の教育論」「私の金儲け法」「私の生きがい」「私の国防論」などと同じレベルで、「私の少子化対策論」が各種メディアでは面白おかしく取り上げられている。
これらには自己体験以外には特にこれといったエビデンスがないという特徴も際立っている。もちろん表1で示した30年間の「少子化対策」の具体策に触れられることもない。子育てや子育て支援を含む「少子化」全般に関連する分野は、「私の健康法」や「私の教育論」などと同じで、誰でもが独自の意見をもてる領域なのであろう。
その他たとえば「俺は独り者だから子育てには無関係」という若者もいれば、かなり前からささやかれてきた「出産時に一人一律1000万円を支給したら」という意見の復活まで、いわば個別体験論からの提言がここに該当する。
民衆知から第二には、すぐあとの学術知とは一線を画すが、さりとて素人の単なる思い付きでもない、いわば人類ないしは国民の経験則からの発言がある。
これはたとえば結婚をめぐり、世間的には伝承されてきた「一人口は食えぬが、二人口は食える」に象徴される。そしてこれに類する慣用表現もいくつかある。「人には沿うてみよ。馬には乗ってみよ」や「縁は異なもの味なもの」もこれに近いだろう。
未婚化が男女ともに増加してきた時代でも、結婚をする男女にとってはこのような慣用句に込められた意味に思い当たるところがあるはずである注5)。
専門家による学術知第三には専門家の研究成果に基づくコメントがある。もっとも「少子化」だけの専門分野などはないので、社会学ならば人口研究や家族論そして児童虐待研究などの応用からの政策提言、経済学ならば働き方をめぐる労働経済学からの発言がこれまでも多かった。社会福祉や児童福祉の領域からの発言や児童心理や発達心理学でもこども研究が盛んであるから、いろいろな知見が出されている。
このように「少子化対策」では、従来から人口研究、家族社会学、小児医学、労働経済学、発達心理学などの専門家が、それぞれの学問的知見を披露してきた歴史がある。世界的に見て一旦は下降したフランスの合計特殊出生率が、数年で反転した原因を追跡したような研究も存在する。さらにこれらの専門家の方々のうちには、国や自治体の委員会や審議会で委員や委員長や会長を務められることも少なくなかった。
私の場合、最初は都市化、次いで高齢化、そして少子化の3点をほぼ10年ずつ研究してきたというキャリアが重なったことが大きい。理論研究と社会調査は当然だが、30年間札幌市の行政とのかかわりを維持してきたことにより、政策策定と政策評価の現場をしっかり体験できた注6)。