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1.「異次元の少子化対策」への挑戦
百花繚乱の少子化対策論2023年1月4日に行われた年頭記者会見での岸田首相の「異次元の少子化対策への挑戦」発言以来、ネット、新聞、テレビ、雑誌などのメディアでは、「私の少子化対策論」の百花繚乱状態が現出している。
私は1980年代と90年代は高齢化の研究を行い、その延長で2000年以降は少子化にも取り組んできたので、それらの経験からこの問題についてのべてみたい注1)。
高齢化への対応には政策効果が出ている日本における出生数の落ち込みは1980年代から徐々に始まってはいたが、当初は急増する高齢者数と着実に高まる高齢化率に政府も国民の関心も集中したために、少子化が強く意識されることはなかった。
しかし、高齢化の進行に伴い国民間に不安が昂じ始めたことによる介護需要への対応には15年かけての議論が煮詰まり、2000年4月から介護保険制度が創設された。そして紆余曲折はありながらも、これが十分に機能して一定の成果を生みながら22年が経過した。
政府が新しく創設した制度の中でも、介護保険は国民の評価が高い。加えて、高齢化対応に有効な制度として後期高齢者医療制度と高額療養費制度もまだ健在であり、これらが世界一になった高齢社会・日本への備えとなっている。
50年に及ぶ年少人口率の連続低下一方で、高齢化率の上昇期間も「年少人口数」は1982年から2022年までの41年間連続して減少し、「年少人口比率」に至っては1975年から48年間連続的に低下してきた注2)。
この両者の動向は、毎年「子どもの日」(5月5日)の総務省発表数値をマスコミがそのまま紹介してきたので、情報としては国民にも周知されてはいたが、1990年までは政府を始め各方面での少子化対応への動きは鈍いままであった。
しかし、「丙午」の1966年の合計特殊出生率1.58よりも低い1.57(1989年)が判明した1990年に、いわゆる「1.57ショック」が発生したことで、日本の少子化対策が本格的に開始された。その30年間の流れを表1で簡単に整理した。

表1 少子化対策の歴史出典:内閣府『令和4年 少子化社会対策白書』より。ただし、金子が編集。
高齢化への介護保険制度創設による堅固な対応とは異なり、少子化関連ではほぼ2年ごとに新しい表現の方針、対策、大綱、ビジョン、プランなどが乱発されてきたことが分かる。
巷で流行を始めた「異次元」という言葉に対して、表1の内容が日本の「通常次元」の少子化対策であったと考えられる。したがって、「異次元」を確定するには、30年間に及んだ「通常次元」の特徴を解明する方法が最短距離になり、ここではそのような手法を採用する。