■ 日本初の林学博士らが考えた「自然にかえる杜」計画

 造営局には植林の専門家として、東京帝国大学農家大学(現:東京大学農学部)教授の本多静六がいました。本多は日本で初めての林学博士で、1903年に開園した日比谷公園の設計者として知られています。

 本多は自らの弟子である本郷高徳、上原敬二を造営局に招き入れ、杜づくりの方向性を決める「明治神宮御境内地林苑計画」を明治神宮鎮座の翌年にあたる1921年に作りました。

 この計画で目指したのは「神苑にふさわしい静かで荘厳な雰囲気を作ること」を基本にし、あわせて「土地に合った天然更新ができる樹種を植える」こと、そして「完成すれば人間の手を加えなくても自然に育つ林を作る」ことでした。つまり、植林をした後、自然にかえっていく「究極の人工林」といえます。

「自然」を目指す究極の人工林と演出されたイチョウ並木 明治神宮2つの杜
(画像=『おたくま経済新聞』より 引用)

 本多らは、森が150年~160年かけて徐々に生えている木々の種類が変わっていく(より自然の状況に近づく)ことを目指し、植林を行いました。当初の段階では元々多かったマツの高木を主体とし、その下に成長の早いスギやヒノキなどの針葉樹、次いで成長の遅いシイやクスノキを植え、将来的にシイやクスノキ主体の森にする計画です。

「自然」を目指す究極の人工林と演出されたイチョウ並木 明治神宮2つの杜
(画像=『おたくま経済新聞』より 引用)
「自然」を目指す究極の人工林と演出されたイチョウ並木 明治神宮2つの杜
(画像=『おたくま経済新聞』より 引用)

 この自然な「木々の代替わり」を実現するため、通常の人工林で行う下草刈りや落ち葉の撤去、間伐といった「管理」を行わないこととしました。落ち葉はそのまま肥料となり、枯死した木も境内で再利用。枝の剪定もやむを得ない場合のみとし、枝は堆肥として再利用しているといいます。

「自然」を目指す究極の人工林と演出されたイチョウ並木 明治神宮2つの杜
(画像=『おたくま経済新聞』より 引用)

 鎮座から100年以上が過ぎた2022年現在、明治神宮の森はシイやクスノキなどの照葉樹が目立ちます。また学術調査によって苑内で確認された生物も、都内では珍しい種類がいるなど、着実に「自然」が育まれているようです。

■ 「見せる」ことを意識した外苑イチョウ並木

 国庫から造営費用が出された内苑と違い、民間団体である明治神宮奉賛会が資金を集め、明治神宮造営局に設計・施工管理を委嘱した外苑は不景気や物価高騰のあおりを受けて工事が一時中断するなどしました。内苑の造営から6年近く経過した1926年10月23日に外苑は竣功・奉献され、一般公開が始まっています。

 神社としての荘厳さを作る代々木の内苑とは違い、青山の外苑では開かれた都市公園として設計と植栽が行われました。その中心となったのが、明治天皇の遺蹟を顕彰する絵画が収蔵された聖徳記念絵画館と、その前にのびるイチョウ並木です。

「自然」を目指す究極の人工林と演出されたイチョウ並木 明治神宮2つの杜
(画像=『おたくま経済新聞』より 引用)

 外苑の表側入口となる青山通りから見た時、イチョウ並木の奥に絵画館が見えますが、実はこのイチョウ、青山通り側が一番高く、奥に行くに従って樹高を下げているのです。これにより遠近感が強調され、実際の距離よりも絵画館が遠くに見えると同時に、視線を絵画館に集める効果を期待してのことでした。

 明治神宮は「神のおわす場所」として、周囲から社殿が見えなくなるような自然林を目指した内苑と、開かれた都市公園として、また聖徳記念絵画館をきれいに見せる外苑の並木という、ある意味好対照な植林がされている面でも面白い場所。初詣のついでに、2つの森の違いを楽しんでみませんか?

<参考>
沖沢幸二「明治神宮の杜の姿」明治聖徳記念学会紀要[復刊第18号]平成18年11月
Google Arts & Culture「明治神宮の杜」

文・咲村珠樹/提供元・おたくま経済新聞

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