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近江八幡の魅力6:近江商人の街並みと復興運動でよみがえった八幡堀
近江八幡の魅力7:古い街並みに交じって魅力的な存在感があるヴォーリズ建築群
近江八幡の魅力6:近江商人の街並みと復興運動でよみがえった八幡堀

八幡堀は全長6kmにも及ぶ人工の水路で、豊臣秀次による八幡山城築城の際に掘られました。八幡山城が廃城後も町の繁栄につながりました。昭和の初期までは
しかし地元の青年会議所を中心に八幡彫りの復活を求める運動となり、その結果堀の石垣などが復元するなどした結果、八幡堀と周辺の13.1haの地域を、近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区として選定されます。

八幡堀は水郷巡りとは別に2社の船会社によって遊覧船が運航されており、また堀の周りには遊歩道があり歩きながら堀の様子を見ることができます。
八幡堀の南側は、近江商人発祥の地とされる古い町並み(新町通り)が残されています。重要文化財に指定されている旧西川庄六宅や森五郎兵衛宅などの古い建物が残っています。西村太郎右衛門の屋敷跡は、近江八幡市立資料館になっていて、近江商人が活躍したときの雰囲気を歩きながらじっくりと味わえます。
近江八幡の魅力7:古い街並みに交じって魅力的な存在感があるヴォーリズ建築群

近江八幡には近世の近江商人が活躍したころの町並みとは別に、近代の建築家ヴォーリズ建築群があります。アメリカ生まれのウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905(明治38)年に滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)の英語教師として着任後、プロテスタントの伝道者としての活動を行いました。
その後建築設計監督事務所を設立し、近代西洋建築の設計を数多く手掛けます。メンタームを販売している近江兄弟社の創立者のひとりでもあり、後に日本に帰化して、一柳米来留〈ひとつやなぎ めれる)となりました。

ヴォーリズは全国に教会や学校の設計をしていますが、中でも近江八幡での建築物が多く、1960年まで局舎として使われていた旧八幡郵便局や旧近江八幡YMCA会館(アンドリュース記念館)など、数多くのヴォーリズが手がけた建物が近江八幡に残っています。
なお、日牟禮八幡宮の正面にある洋風建築の白雲館の建築者は不明で、ヴォーリズのものではありません。